FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

松戸は宿場町だったようですが

千葉県の松戸は、かつての水戸街道の宿場町でした。

でも、松戸駅付近の水戸街道は、現在の県道261号線で、拡幅されて2車線になっていますので、宿場町の面影はまったくありません(下の写真)。

CIMG1270_convert_20170408195817.jpg

今回は、学会で千葉大学園芸学部を訪れた際に、帰りの電車に乗る前のわずかな時間に、ささっと周辺を歩いただけですので、「何も残っていなかった」という印象が強いわけですが、その気になって探せば、名残は色々あるようです。たとえば、以下のサイト。
http://home.e02.itscom.net/tabi/mitokaidou/3matudo.html

結局、愛妻に土産も買わないまま、松戸を後にしたのであります(松戸土産って何が良いのかな?)。
スポンサーサイト

モノレールの残骸と熊野古道のツーショット

そのうち、熊野古道を愛妻とゆっくり辿ってみたいと考えているワタクシですが、今日は熊野古道をちょっとだけ擦る話題。

写真をご覧ください。

CIMG1383_convert_20170407221041.jpg

左側の錆びた手すりのような物体は、簡易モノレール(たぶん農作業用)の残骸です。右側の道路は熊野古道だった(?)道です。熊野古道のこの前後の区間は拡幅舗装されて、往事の面影はありません。御坊市の善童子王子跡の近くです。

CIMG1380_convert_20170408201534.jpg

もちろん、このモノレールと熊野古道は無関係ですが、レールと言えば、門扉のレールにも興奮するようなワタクシですから、つい足を止めてしまいました(簡易モノレール自体は、とりわけ珍しいものではありませんが)。

香春岳と秋月街道

旧秋月街道です。正面に見える山は香春岳。

CIMG0382_convert_20170213133046.jpg

と、ここまで書いたところで、過去記事の中に同じようなものがあったことを急に思い出し、検索してみますと「香春岳という異景と秋月街道」というものがありました。タイトルまでほとんど同じだぜ(汗)。

ついでに再掲しちゃえ。

---ここから過去記事再掲---

あれ~、6月も終わっちゃうよ!

そう言えば、今月は旧街道を全然歩いていない。それどころか、愛妻と散歩もしていない。

と言うわけで、自分を慰めるために、旧街道写真を2枚ほど。

CIMG0253_convert_20150624212736.jpg

秋月街道であります。長崎街道よりも古く、中世に遡ることができる道だそうです(アクロス福岡文化誌編纂委員会編『アクロス福岡文化誌1:街道と宿場町』海鳥社、2007年、p.68)。今年の3月に歩きました。

背景の異様な山は、香春岳。五木寛之の『青春の門』ですっかり有名になった山です。ちなみに、『青春の門』は「香春岳は異様な山である」という有名な文章で始まります。

石灰岩の採掘で、てっぺんが平になってしまったこの山、五木寛之でなくても気になる存在です。

こちらも、秋月街道と香春岳。香春町内ですね。

CIMG0384_convert_20150624212749.jpg

しかし、秋月街道が賑わった時代は、香春岳も普通の山容だったんでしょうねえ。

それにしても、筑豊という土地は、興味が尽きません。


---再掲ここまで---

さすがに使っている写真は違っていた。でも、一番下の写真と場所はほとんど変わらない(汗)。

丸型郵便ポストのある風景~美濃赤坂編~

旧街道の谷汲巡礼街道沿いの丸型ポストです。もう少し手前に下がると中山道との分岐点です。

CIMG7116_convert_20170209220136.jpg

CIMG7117_convert_20170209215628.jpg

少し草臥れていますね。でも現役。

「丸型郵便ポストのある風景」というのは前にも書いたように思うので、今回はサブタイトルを付けました。「丸型郵便ポストのある風景」ってシリーズ化しても良いけどね。

それにしても最近足が疼きます。痛いとかそういうのではなくて、歩きたくて疼くということね。愛妻と一緒の散歩も、一人の旧街道歩きもしばらくご無沙汰でしたからね~。

この本も買い忘れていたが廃道ファン必読だ

この本も昨夏に出ていたのに買い忘れていました(汗)。

IMG_0704_convert_20170204151049.jpg

著者の平沼義之(ヨッキれん)氏が運営される超有名な廃道探索サイト「山さ行がねが」(http://yamaiga.com/)が文庫化されたものです。

もちろん、同サイトには膨大な情報が含まれていますので、それを文庫一冊に収めることは物理的に不可能ですし、紹介されている廃道も限られているのですが(平沼氏は1000本以上の廃道を探索されているそうですが、本書で紹介されているのは、そのうちの8本)、廃道探索の魅力がぎゅ~っと圧縮されて詰まっている感じです。

そう言えば、同氏が関与された廃道ムックの紹介を、このブログで5年以上前にしていました。ついでに再掲しましょう。

---ここから過去記事再掲---

DPLの好きなサイトに「ヨッキれん」氏による「山さ行がねが」(http://yamaiga.com/)があります.「廃道・廃線・隧道・林鉄・酷道・険道 交通遺構を探険するオブローダーの記録」とトップページに書かれていますように,その筋のマニアのためのサイトです.このサイトの主「ヨッキれん」氏が実は今日ご紹介する本(ムック)の著者の一人平沼義之氏です(「ヨシユキ」だから「ヨッキ」なのか!今初めて気がついた).

自動車やバスで山間部の一般道を走りますと,トンネルに出会う機会が多くなります(DPLは以前,中山間地域を研究対象にしていたので,山間部によく行きました).二車線以上のトンネル(比較的新しいものが多い)の場合には,ほぼ必ずと言ってよいほど,そのトンネルの入口の少し手前から細い道(トンネルが出来る前の旧道)が分岐しています.その道は通行止め(要するに廃道ですね)になっている場合も少なくなく,場合によっては車一台の幅の廃隧道(廃道の場合,「トンネル」よりも「隧道」の方が感じが出ますな)の坑口が顔を覗かせている場合もあります(「痺れる」風景です).

このような場面に遭遇するたびに,「旧道の方に行きたい」とDPLは思うわけですが,自動車免許を持たないDPLは運転は他人任せなので(多くは愛妻の運転.公共交通機関のない地域に行くときは本当に愛妻頼み),さすがに遠慮してしまいます(この時だけ,運転免許をとっておけば良かったと思います.まあ一瞬そう思うだけですが).しかし,気がついた時には,トンネルに進入してしまっていることが多いので,そもそも手遅れですけどね.

自分のことばかり書きましたが,今日ご紹介する本(ムック)は,DPLのような人間の心をくすぐる憎い書物です.特に廃隧道に関するレポートが充実しているように感じます(下の写真のように表紙もやはり廃隧道です).廃墟の中でも廃隧道は,穿たれた暗い穴から危険な香りが漂い,格別の味わいがあるとDPLは思いますが,多くの人にとっても多分そうなのでしょう.ポータルの意匠など芸術的要素もありますしね.

廃道本_convert_20091111190333

紹介された事例は29件です.勿論,それぞれに貴重な写真入り(普通はなかなか近づけない場所の写真という意味でも).是非,現物を手にとって,写真を見ながらじっくり読んでいただきたいと思います.しかし,決して「自分も現地に行ってみよう」などと思ってはいけません.危険です.著者達は半端ではないのです.

それぞれの事例紹介を読む(見る)ことも楽しいのですが,本書の中で,とりわけDPLが感動したのは,「廃道ができるまで」という論考です.著者の一人永冨氏は次のように書きます.「数多くの廃道を歩いていると,廃道の状態は経年と関係があるように感じる部分と,そうでない部分があることが実感できる.でも「植生遷移」ということもあるし,おおよその部分で傾向はあるはずである.すなわち,廃止後t年の廃道を数式で表すことは可能か?」(p.88).

そして,永冨氏は,以下のような数式を提案します(p.89).

廃道方程式

hは廃道度,tは経過時間,αは最終的に落ち着く廃道度=終末廃道度,βは廃道抑制係数,λは廃道減衰係数だそうです.永冨氏は実際にパラメータを求めているわけではありませんが,こういう真面目なのか遊びなのかわからない論考というのはDPLは大好きです.

今日ご紹介した本
平沼義之・永冨謙著「廃道本」(実業之日本社,2008年)


---再掲ここまで---

そう言えば(「そう言えば」が多いな…)、以前にここで平沼氏の廃道ビデオ『廃道クエスト』を紹介しましたが、レクチャーがとても上手い人であるという印象があります。未見の方は、こちらも是非という感じです。

三叉路に歴史あり

戦前の地形図を一枚。

妙見駅_convert_20170130224218

1/25000「小倉市」(昭和11年二修・昭和13.2.25発行)ですが、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷謙二)に収録されているものをコピーしました。

真ん中に「んけうやみ」という駅がありますが、もちろん、当時は右から読むので「みやうけん(みょうけん)」です。日田彦山線の前身である小倉鉄道(のちの国鉄添田線)の東小倉(廃駅)~石田間(廃線)にあった妙見駅です。ちなみに、この地形図は小倉鉄道の時代。

ところで、鉄道と妙見駅の北方でクロスする道が記載されていますが、これは旧街道である中津街道です。小倉鉄道と中津街道はこの1箇所のみでクロスしていました。

なお、地形図を見ますと、中津街道は妙見駅の真ん前を通っています。さらに駅前がちょうど三叉路になっており、駅前広場のような趣きだったのでしょうか?

気になるのは現在の様子です。下の地図はグーグルマップによる現在の様子。当時からの道の一部をペンでなぞりました。

妙見駅2_convert_20170130224227

信号のところが、地形図の三叉路にあたるようです(東西方向の太い道は新しく作られた道)。中津街道はそのまま残っているようです。

○印を付けた辺りに妙見駅があったようですが、道路の下になり、まったく痕跡はありません。廃線は基本的に宅地化されて、痕跡はゼロ(ただし、もう少し北進すると橋台の残存が一箇所確認できます)。○の前後の細い道は線路敷きを転用したものではありませんので注意。

もちろん、現地にも行きましたぜ(こういう時のボクのフットワークの軽さは愛妻も呆れるほど)。

さて、現在の写真です。左の建物が「武田眼科医院」です。

妙見駅3_convert_20170130231034

矢印を書き込んでいますが、左右が北南に相当します(写真を横切る道路が中津街道ね。今はただの生活道路)。ちょうど妙見駅を降り立つとこんな感じだったのでしょう。

今はただの三叉路(厳密にはさらに道路が1本クロスしているので五叉路か)ですが、実は駅前の名残というお話でした。

今も現役の旧宿場町の旅籠屋

一昨日紹介しました旧中山道・垂井宿ですが、こ~んな大変なものが残っていました!

CIMG7618_convert_20170101202641.jpg

「旅籠」という看板がかかった古い旅館です。

CIMG7626_convert_20170101202651.jpg

「亀丸屋」という名前ですね。

この旅館については、垂井町による以下の説明版を読んでね。

CIMG7627_convert_20170101202629.jpg

ねえ、凄いでしょう?

帰宅してから愛妻に写真を見せたら、彼女も感動していたYo!

堂々たる大衆食堂

レトロと言えば、ココもなかなか感動しました。

CIMG7679_convert_20170101182521.jpg

CIMG7677_convert_20170101181245.jpg

この堂々たる「大衆食堂」という看板が良いのであります。何枚も写真を撮って、早速帰宅後愛妻に熱く語りました。

しかし、この場合の「大衆食堂」は固有名詞(店の名前)なのかな?この看板の調子から言いますと微妙です。

ところで、場所は旧中山道の垂井宿。

CIMG7681_convert_20170101181255.jpg

東海道線の駅(垂井駅)もある小さく静かな町ですが、随所に宿場町の面影があり、なかなか気に入りました。

12月の北大

先日、学会出張で北大に行ってきましたが、愛妻へのお土産用に撮影した構内写真です。

CIMG6075_convert_20161208203832.jpg

農学部から総合博物館の方に抜ける小径です。

なかなか散歩道として良さそう。ケンブリッジで在外研究をしていた頃を少し思い出してしまいました。

しかし、北大は構内広過ぎませんか?(最近、維持費が気になっちゃうんだよね)。

英国に行きたい

昨日の過去記事でも言及していますが、ウェールズのコンウィです。

DSCF4707_convert_20161128221149.jpg

こういう道は、なかなか日本ではお目にかかれませんよね。

さて、これだけでは何ですので、昨日の過去記事の中でもリンクを張っていましたコンウィ関連の過去記事を再掲しましょう(リンクを張っても、飛んでくれるとは限らないからね)。

こちらの過去記事の写真の方がコンウィらしいけど、上の何気ない道の写真の方が好きだったりします。

---ここから過去記事再掲---

また,調子に乗って新シリーズ「道を楽しむ・道を学ぶ」です.今日は,久しぶりにウェールズの小さな城下町コンウィを取り上げましょう.

コンウィ城の城壁と,それにクロスする街路の写真です.

コンウィ_convert_20101112024639

道の曲がり具合がとても素敵です.もっと腕の良い人が写真を撮れば良い写真になりそうなんですが・・・(DPLは写真が下手だな).下手な写真なりに旅情を感じていただければ幸いです.

このブログでは,これまでコンウィを何回か取り上げました.愛妻と訪れた英国の町の中でもお気に入りの上位に入る町というのが理由です.写真を選ぶために,今回,コンウィの写真を何枚か改めて眺めてみましたが,やっぱり良い町ですね.


---再掲ここまで---

「道を楽しむ・道を学ぶ」は「「道」楽・「道」学」に改称したけど、今一つしっくり来ないなあ~。もっと良いカテゴリ名はありませんかねえ?

前にも書いたなあ

「緩くカーブする町並みが好き」みたいな話は前にも書いたことを思い出しました。ちなみに、昨日とは別の場所ね。

---ここから過去記事再掲---

この冬に向けて,愛妻に今年もまたマフラーの製作を頼んでいます.もちろん,ピンクですが,去年とはまた違った色やデザインになりますので,そのうちここでも紹介します(DPLも出来上がりを楽しみに待っています).

さて,今日は,また道の写真を一枚.

gobou_convert_20101121151701.jpg

「松原通商店街」という看板がありますが,人は歩いていません.

ここは以前にもご紹介しました和歌山県御坊市の町中です.以前も同じ様なコンセプトで記事を書きました(「二番煎じ」ですが,選んだ写真は違います).

それにしても,この道の曲がり具合は素敵です.この間紹介しましたウェールズのコンウィの街路の曲がり具合もなかなかでしたが,街路は多少カーブしている方が趣きがあります.

そう言えば,都市問題を語る上では欠かせない人物であるジェイン・ジェイコブズが,魅力的な都市の条件として,「街路が狭く曲がっている」というようなことを挙げているのを思い出しました.

---再掲ここまで---

このブログが始まって間がない頃でありますね。昨日の2つの写真の感じとは、同じ曲がっていると言っても一寸違う感じだけど。

緩くカーブする町並みが好き

ボクは緩くカーブする町並みが好きです。

CIMG5684_convert_20161126152632.jpg

何処とは書きません。まあ、何でもない写真ですけどね。

ここまで書いたところで、この記事を思い出したよ。

---ここから過去記事再掲---

なぜだか急にロンドンが懐かしくなりましたので,ロンドンの街角の写真を一枚.

ロンドン

この写真は本当は愛妻を撮影したものですが(右端に大きく愛妻の横顔が写っていました),トリミングしまして風景写真に改造しました.こういうカーブはなかなか日本の町にはありませんねえ.

紅茶が飲みたくなってきましたので,これから愛妻に入れて貰おう.


---再掲ここまで---

スケールが違い過ぎるけど、どちらも好き。

これも長崎街道だ!

これも長崎街道だ!

CIMG3_convert_20161012200204.jpg

と、ドヤ顔になったけど、しかし、どうも同じような写真を使ったことがあるような気がする(今回トリミングしているのでまったく同じではない筈だけど・・・)と思い、過去記事を検索してみましたら、やっぱりあった。しかもタイトルが「これも長崎街道なんだって」だって(汗)。

---ここから過去記事再掲---

昨日の道が長崎街道だって言うのは、「そう言われてみれば」という感じですが、筑豊本線の天道駅前(福岡県飯塚市)を横切る道も長崎街道なんですねえ。

下の写真は、天道駅を背にして右方向。

P1240087_convert_20150307234915.jpg

こちらは、天道駅を背にして左方向。

P1240088_convert_20150307234932.jpg

このまま真っ直ぐ行きますと、県道473号に合流します。

忠隈炭鉱のボタ山の「見え方」を調査しているときに、通ったのですが、「ここが旧街道」なんて全然意識していなかったなあ。本当に普通の生活道路なんだもん。

この道をかつては参勤交代の行列も通ったなんてねえ。何だか不思議だ。

ところで、旧街道と言えば、最近、東海道の関宿(三重県亀山市)に行ってきたのですが、重要伝統的建造物群保存地区に指定されているだけあって実に見事でした(また紹介するYo!)。「今度は是非、愛妻と」と思わせる素敵な町並みでした。


---再掲ここまで---

過去記事の2枚目の写真と大体同じ位置。

それにしても、タイトルの付け方といい、写真の選び方といい、ボクはまったく進歩がない。

今日も飯塚の長崎街道

1週間ほど前も飯塚市内の旧長崎街道の写真を貼りましたが、今日も貼りましょう。

CIMG0326_convert_20160921215103.jpg

この細い道が旧長崎街道であります。このまま真っ直ぐ進めば、先日紹介しました商店街のアーケードに至ります。

実は、この写真は長崎街道よりも右手の建物(印刷屋さんのようです)が気に入って、愛妻に見せようと思って撮った写真なのだ。

こういう宿場は愛妻と行きたい

旧街道の旧宿場町であります。

CIMG0975_convert_20160915213643.jpg

言わずと知れた東海道の関宿であります。

CIMG1141_convert_20160915214333.jpg

宿場町的ではないけど、この足袋屋さんなかなか良い味を出しています。

この関宿には、古い建物を使ったカフェなどもありますから、愛妻とまったり過ごすのには良いかも知れません。

何日か前に「何の変哲も無い道になってしまった旧街道に惹かれる」とは書きましたが、この関宿のような風情も、もちろん捨てがたいのであります。

こう見えても

何でも無いような道に見えますが・・・この道の正体は?

CIMG1285_convert_20160911175201.jpg

近くの写真をもう一枚。

CIMG1279_convert_20160911224805.jpg

答えは、旧東海道であります!

亀山宿と関宿の間です(どちらかと言えば関宿寄り)。関宿のように往時を偲ばせる風情が充満した空間ももちろん良いのですが(特に愛妻と行くにはイイ)、観光客が見向きもしないような、この写真のような区間にもワタクシは惹かれるのです。

飯塚の長崎街道

昨日の旧長崎街道は飯塚市を経由していますが、ちょうど本町商店街が長崎街道にあたります。

CIMG0304_convert_20160908235250.jpg

「長崎街道 飯塚宿」の看板が見えますね。意外に賑わっています。

こちらは、アーケード商店街の出口になりますが、さらに、通りを渡った先の歯医者さんの左隣の細い道も旧長崎街道であります。

CIMG0305_convert_20160908141606.jpg

そう言えば、通りを渡った先の細い道を、以前に長崎街道とは知らずに紹介したことがあります。と言うわけで過去記事再掲。2013年5月の記事でタイトルは「こういう道が好き」でした。

---ここから過去記事再掲---

「町中のカーブする道が好き」といつも書いていますが、これなどもワタクシが好きなタイプの道の典型ですね(愛妻と散歩したいタイプの道とは少し違うけど)。



ここは飯塚市内であります。不規則な曲がり具合がたまらないなあ。この道の歴史が知りたくなりませんか?


---再掲ここまで---

再掲写真の中の右側の2つの建物が、上の写真にも小さく写っているのがわかるでしょう?

小倉の長崎街道

旧長崎街道の起点である常盤橋からちょっと行った辺りの写真です。

CIMG0077_convert_20160907204853.jpg

タワーマンションなどが見えますが、一応意識的に旧街道らしさを演出している区間でありますね。

ところで、長崎街道はこのブログでも何回か取り上げたような気がしたので、過去記事を検索してみましたが、2014年10月の記事(下に再掲)が最初だなあ。

---ここから過去記事再掲---

「筑豊富士」の異名を持つ旧忠隈炭鉱のボタ山の「見え方」を調査するために、飯塚市内を歩いていて、遭遇した看板です。

CIMG3180_convert_20141007234046.jpg

「おおっ!長崎街道じゃないか!」と思わず叫んでしまいました。

だって、こんな何の変哲もない地味な道なんだもん。この看板が無かったらわからないや。

CIMG3180_convert_20141007233723.jpg

もちろん、旧「長崎街道」が飯塚を通っていたのは知っていたけど、この時はボタ山に気を取られていたんだYo!

「長崎街道」を知らない人のために、『街道歩きの旅』というサイトから引用してしまいましょう(自分で書けばよいのですが、面倒になったので)。


長崎街道は小倉(現北九州市)常盤[ときわ]橋から、木屋瀬、山家、神崎、佐賀、嬉野。彼杵、大村、諫早を経て肥前・長崎に至る57里(223km)の街道。宿場数は25宿以上で通行には6~7日所要した。
(http://kaidoaruki.com/area_kyusyu/nagasaki.html)

長崎を目指して、愛妻と「長崎街道」のルートを歩いて辿るのが夢です(嘘)。

---再掲ここまで---

一番上の写真の道と下の2枚の写真の道が同じ道というのも不思議な感じだなあ。

近況など

先日、半死状態のボクのガラケーが何も治療を施していないのに1ヵ月ぶりに復活した話を書きました。今もって、なぜ復活したのか謎ですが、愛妻と常に繋がっている安心感が半端ではないですね・・・という今日この頃であります。

さて、今日の話題。

また旧街道歩きの本を買いました。

IMG_0615_convert_20160901181201.jpg

八尋章文『旧街道紀行:歩いて学ぶ歴史と文化』(けやき出版、2016年)であります。

エンジニアだった著者が定年を機に旧街道を歩き始めた成果が本書です。1年ちょっとで、全国の41の旧街道(約9300キロ)を踏破されたというのですから凄い!(大阪府内650キロをどうこう言っていた自分が恥ずかしい・・・)。

旧街道入門としても使用できる作りになっていますので(特に第2章「街道のしくみ」)、旧街道に関心がある方すべてにお勧めです。

ボクはまだ若いので、定年はまだまだ先の話なのですが、「旧街道を歩く」老後は一つの理想でありますね。あと、ボクは定年になったら、物理学をきちんと勉強したいなあ~。

今秋から大阪の旧街道を踏破したい

今年の10月以降、大阪府内の旧街道を踏破しようという計画を練っています。

「いつでも歩ける」と思いつつ、近いからこそなかなか歩けないのが、近くの旧街道なのであります。これを何とかしようというわけです。

ただ、総延長650kmぐらいはあるらしいので、無計画のままでは短期間に歩けるものではありません。周到に計画を立て、旧街道という遺産が、現代に息づく様をこの目で確認したいと思うのです。

ところで、下の写真は、東大阪市内の河内街道と俊徳街道の分岐点に残る道標です。

P1390124_convert_20160827224311.jpg

このような遺構は、探せば結構残っています。思いがけない場所で遭遇しますとワクワクしますし、ワタクシが、旧街道歩きにはまったのも、たまたま遭遇した道標を見て「面白いものが残っているんだな~」という驚きによります。

しかし、以前にも紹介しました武藤善一郎『大阪の街道と道標(改訂版)』(サンライズ出版、2000年)に、武藤氏が執筆時に残存していたすべての道標が網羅されておりますので、新発見自体はもう出来ません(消失してしまったことを発見することはあっても・・・)。

ところで、武藤『前掲書』と並んで大阪府内の旧街道歩きの参考になる書籍が、以前にも紹介しました神野清秀『大阪の街道(大阪文庫10)』(松籟社、1989年)です。以下紹介過去記事の再掲です。

---ここから過去記事再掲---

夕方にアマゾンに注文した古本が、翌日のお昼にはもう到着しました。実に便利な世の中になったものです(今さらの話ですが)。しかし、頻繁に本が届く状況を愛妻はどう思っているのかな?(もちろん、クレームは一切ないけど)。

さて、神野清秀『大阪の街道(大阪文庫10)』(松籟社、1989年)がその本。表紙もなかなか素敵でしょう?(左上は暗越奈良街道の暗峠だ)。

大阪の街道_convert_20140206095135

「大阪文庫」とありますが新書版です。新刊時の本体価格が922円ですが、送料込で1747円で買いました。これを高いとみるか安いと見るかは微妙ですが、ワタクシは満足しているのでこれで良いのでしょう。

「あとがき」を読みますと、著者(もと皇学館大学教授)は本書の執筆依頼を受けてから、改めて大阪府下の諸街道650kmを、写真とメモをとりながら約1年かけて歩き直したそうで、それぞれの街道の歴史と現状がバランスよく記述されています。

まだ、ところどころ拾い読みしているだけですが(何と言っても採点を終えないといけないからね)、さすがに執筆直前に再踏査されただけあってコンパクトですが臨場感溢れる記述となっています(「ボクも650km歩きたい」と思わせるところがなかなかの筆力だと思います)。

先日紹介した武藤善一郎『大阪の街道と道標(改訂版)』(サンライズ出版、2000年)と合わせれば鬼に金棒だな。これらの書物片手に(両手に)、今までのように何かのついでの「つまみ食い」ではなく、系統的に踏査してみたい。


---再掲ここまで---

旧街道を歩くと地域の歴史が何となく見えてくるんだなあ。

雪がちらつく長崎街道

季節外れの話題です。

雪がちらつく旧長崎街道です。筑豊本線・天道駅の駅前から飯塚の市街地に向けて歩いているところ。

CIMG0138_convert_20160606000933.jpg

旧街道とは言っても、今ではごく普通の生活道路です。もとの写真には雪が舞っている姿が写っていたのですが、縮小したら、判らなくなってしまったなあ(汗)。

しかし、この日は頻繁にトイレに行きたくなるほど寒かった。一人で寒さに震えながら(そしてトイレを我慢しながら)旧道を歩いていると、愛妻がとても恋しくなるのであります。

郡山宿はこんなところ

昨日の話題に関連して、旧西国街道の郡山宿の現在を紹介しましょう。

前にも紹介したことがありますが、たぶん別写真です。

P1400292_convert_20160314212901.jpg

上の写真は本陣の前辺り。下の写真は、そこから西に少し進んだところ。

P1400314_convert_20160314212919.jpg

古い建物は少なくなりつつはあるんですが、それでも宿場町のDNAは脈々と引き継がれているような気がするのだ。

それにしても、愛妻と行きたいところは一杯あります。歴史的な街道歩きは、連れがいて、感動を分かち合いながら歩くのも楽しいと思います。そのうち、『愛妻と街道を行く』なんて本を書いてみたい。

郡山宿本陣特別公開 は日曜日までだった

旧西国街道の旧郡山宿本陣(大阪府茨木市)の春の特別公開は3月5日から13日までだったのね。

今年は愛妻を誘って行こうと思っていたのに残念。次は秋かあ~。

ちなみに、下の写真は、一昨年の春に撮った写真です。

P1400380_convert_20160313134658.jpg

本陣だけでなく、旧郡山宿全体が宿場町の雰囲気を残しており、タイムスリップした気分になりますので、特別公開の時期以外も皆さん行ってみると良いと思うよ(5人以上の団体であれば事前予約で本陣も見学できるYo!)。

旧亀山宿の屋号札

三重県亀山市と言えば旧東海道の関宿が有名ですが、もう一つ、旧亀山市側(関宿は2005年までは亀山市ではなくて旧関町)にも宿場(亀山宿)がありました。

歴史的町並みが残り観光客で賑わう関宿とは異なり、亀山宿はあまり遺構が残っておりません(観光客にもほとんど出会いませんでした。しかし、関宿と比較するのは一寸可哀相かな)。しかし、ゆっくり歩けば旧宿場町の匂いを随所に嗅ぐことが出来ます。

そんな中で「面白いなあ」と思ったのがコレ。下の写真の建物に、「東海道亀山宿 横町 わかさざ跡」と書かれた木札(「お客様へ」の看板の下)が下がっているでしょう?

CIMG1699_convert_20160111192747.jpg

当時、この場所にあった建物の屋号ですね。地元のグループ「きらめき亀山21町並み保存分科会」の手によって、かつての屋号を記した木札が、その跡地に立つ建物に掲げられているのです。これは非常に興味深い試みです。

ちなみに、「わかさざ」は。亀山市市民文化部文化振興局まちなみ文化財室によるパンフレットによれば、「若狭座」と書くようです。

とにかく、このような感じの木札が旧東海道沿いのほとんどの建物に下げられています(近代的な建物にも取り付けられています)。一つ一つ確認して行くと楽しいよ。

亀山は愛妻と1回(これは何かのついでだったな)、ボクだけで2回(1回は旧東海道歩きの途中、もう1回は亀山駅での乗り換え待ち合わせ時間を利用して)歩きましたが、また足を運びたいな。

秋月街道と日田彦山線

年末になりますと、例年このブログも訪問者がガタ減りするのですが、特に最近、年末で無くても訪問者が減っている中で、ほとんど独り言状態になっております。

まあ、それはいいのですが、昨日も書きましたように忙しそうな愛妻を尻目に、道楽亭主的なブログを書き続けることに多少の罪悪感が無いわけではありませんが(嘘)、今日も道楽亭主的話題。

と言うわけで、写真を一枚。最近、ストリートビューの写真ばかり貼っていましたが、今日は正真正銘ボクが撮影した写真です。

CIMG9956_convert_20151227183103.jpg

この道は、もちろんタダの道ではなくて、旧街道の秋月街道。最近、この秋月街道が気に入っていて、今年はこのブログで6回も取り上げています。今日の写真は、今年の春に訪れた時のもの。

場所は、33°37'26.88"N、130°48'3.61"Eであります。福岡県の田川市内。

橋の欄干が写っていますが、跨いでいるのは河川ではなくて、鉄道です。

CIMG9962_convert_20151227183050.jpg

橋の上からは判りませんが、実はなかなか歴史的価値がありそうな煉瓦造りの橋なのです。鉄道はJRの日田彦山線で、明治32年に豊州鉄道として開業した区間です。なかなか古い鉄道なのだ。

歴史のある道と歴史のある鉄道が出会う地点なのであります。

古代道路って気になる

先日、久しぶりにこのブログで古代道路を話題にしたので、古代道路関連の書籍を話題にした過去記事を再掲しましょう。2013年7月の記事です。

---ここから過去記事再掲---

奈良には古道が多いですが、「暇ができたら山辺道を愛妻と歩きたい」と常々思っているワタクシであります(なかなか果たせないけど)。

ところで、古代の道と言えば、だいぶ前に、このブログで連続して「古代道路」を取り上げたことがあります。律令国家によって設定された駅路で、直線的で幅員が大変広い(前期は12メートルぐらい)という特徴があります。古代に突如現れ、その後消えてしまった幻の高規格(?)道路です。

この「古代道路」の痕跡の探索がマイブームだったわけですが、その後、沈静化しておりました。ところが、最近、再び「古代道路」が気になりだしました(特に理由はありません。逃避かもしれません)。

と言うわけで、関連書を3冊同時にアマゾンに注文しました(私費だよ。ワタクシは本は原則私費でしか買いません)。

近江俊秀_convert_20130702125117

いずれも、近江俊秀氏の著作です。近江氏はもと奈良県立橿原考古学研究所主任研究員で、現在は文化庁の文化財調査官をされている日本古代交通史の研究者です。

まだじっくり読む暇がないのですが、仕事の合間に、写真や図版を眺めたり、本文を拾い読みしたりしています。近江氏の文章も生き生きしていて良い感じです。もちろん、奈良の事例紹介が多いので、これらを片手に歩き回りたいなあ。

特に、『道路誕生』が、考古学の立場からの古代道路入門として非常に良く出来ている感じです(内容には関係ない話ですが、アマゾンが送ってきた現物が、少し痛んでいてションボリ)。

なお、『道路誕生』は、専門書である『古代国家と道路』の内容を一般向けに書き直したらしく、大元のこちらの書物も気になりましたが、お値段が5560円でしたので、購入を見送ってしまいました(専門書としては特に高価ではないのですが、予算の制約もありますので)。

こちらは、図書館から借り出して勉強しようと思います(「ワタクシは本は原則私費でしか買いません」と大見得を切ったのにちょっと恥ずかしい)。


---再掲ここまで---

あれ?この記事、今年の4月にも再掲していました(汗)。まあいいや。

ついでに、半年ぐらい前の記事だけどこの記事も貼っちゃえ。ちなみにタイトルは「歴史の交差点」です。

---ここから過去記事再掲---

「歴史の交差点」な~んて書きますと、歴史の大きな流れに関連した話を予想させたかも知れませんが、ここでは、単に「歴史街道同士の交差点」という意味です(「なあ~んだ」という声が聞こえそう)。

ココのこと。

CIMG3670_convert_20150419173237.jpg

撮影者(ボク)の前後を貫く真っ直ぐな道は、難波京と飛鳥京を結んだと言われる古代道路の「横大路」のなれの果て。その後、伊勢街道に組み込まれました。

なお、写真は西(難波京の方向)を向いて撮影しています。写真の右側の建物は、かつての旅籠ですが、今は民家です。

一方、撮影者の左右に伸びた道は、平城京と藤原京を結んだ古代道路の「下ツ道」のなれの果て。

いずれも古代の官道ですから、かつては幅員がもっと広かったと思われます。以前、古代山陽道を紹介した際に「直線に古代を感じろ!」と書きましたが、今回も同じ台詞を吐きましょう(「直線にロマンを感じろ!」でも良いけど)。

ところで、この写真を撮影した時は、某学会の巡検で行きましたので、愛妻は同伴していませんが、ここは愛妻連れで再訪する価値がありますよ。

---再掲ここまで---

しかし、この写真の丸型ポスト(郵便差出箱1号(丸型))は、少し違和感がある。

古代道路の痕跡

グーグルアース遊びで英国の廃駅巡りをしていますが、少し飽きてきましたので、日本へ飛びましょう。

さて、これは東広島市内の某所のストリートビューです。

古代道路_convert_20151114224531

何の変哲もない風景のように見えますが、実はこの右側の細長い空き地は、古代道路の痕跡らしい(古代道路については、以前書きました過去記事を参照してください)。

中村太一『日本の古代道路を探す:律令国家のアウトバーン』(平凡社新書、2000年)のp.84の写真を手掛かりに見つけました(と言うか、同書で「東広島市の道路痕跡」として取り上げられていた写真とほぼ同地点を探したのです)。

2000年の書物なので、同書の写真とは建物が建て替わってしまっていたりしまして、雰囲気が少し違うのですが、左手奥の住宅がそのままの様子なので、たぶん間違いないと思います。なお、写真右手がほぼ北です。

熟練すれば空中写真から古代道路を判読することが出来るようですが、ボクのような素人にはなかなか難しい(廃線跡なら、日本であろうが英国であろうが、すぐに見つけ出す自信があるのですが)。

ただ、この写真の周辺はボクでも何となく判ります(同書図14を参照)。

ちなみに、写真の場所をグーグルアース上で示しますと以下の通りです(「古代道路の痕跡?」と書いたピンの位置)。

古代道路2_convert_20151114221801

それにしても、古代道路は廃線跡と違ってロマンがあります(廃線跡もロマンがあるとは思っているのですが、鉄オタ臭が漂ってしまいます。それに比べて、古代道路は古代史が絡みますからね)。愛妻との食卓の話題にもピッタリだし、もう少し勉強しようかな。

関宿から亀山宿へ

昨日の話の流れで、旧東海道の関宿から亀山宿に至る途中の写真です。

東海道_convert_20150929002241

6km弱で、愛妻と歩くには丁度良い距離です(この時は一人ですが)。

途中、こ~んな一里塚もありますし(以前にも紹介)、楽しいよ。

CIMG1532_convert_20150929003749.jpg

これからの季節、旧街道歩きには最適なのですが、悲しいことに2週間連続土日出勤なのであります(10月11日まで17日間連続出勤だなあ~)。まあ、いいや。

しかし、あっと言う間に9月も終わり。もう今年もお仕舞いですなあ。

関数電卓で思い出した

関数電卓で思い出しましたが、カシオのこのサイトが面白いのであります。

http://keisan.casio.jp/exec/system/1317803517

「東海道五十三次の宿場から宿場への歩数」が計算できるんだよ。

とりあえず、デフォルトの60cm/歩で、今春歩いた関宿と亀山宿の間の歩数を求めてみるとこんな感じ。

東海道

丁度一万歩くらいなんだね。

万歩計で毎日の歩数を管理している人には便利な機能かも知れないけど、そういう人は旧街道なんて歩かないんじゃないかなあ?でも、あまり実用的では無いところはボク好き。

http://keisan.casio.jp/というサイトは、その他色々な計算をカバーしているよ。詳しくは以下の過去記事を読んでね。

---ここから過去記事再掲---

ふとしたはずみに、「そう言えば、昔、バイオリズムの計算ができる電卓ってあったなあ~」と思い出し、検索したところ、電卓のCASIOがやっている以下のサイトに遭遇。

http://keisan.casio.jp/

このサイト、「桁数可変型演算技術を応用して精度保証の実現をめざした計算サービス」だそうです。バイオリズムの計算もできますが、ありとあらゆる計算を網羅しており、計算好きにはなかなか興味深いサイトであります。「計算コラム」という読み物も楽しい。

「東海道五十三次の宿場から宿場への距離」など需要があるのかないのかわからない計算もできます。さらに、「自分の歩幅を選ぶと歩数が出ます」だそうですよ!

いやあ実に楽しい。それに、「フラッシュで綺麗に撮れる距離」なんていうのも簡単に計算できますので、今度愛妻の写真を撮影するときに計算しちゃおう。

科学技術計算もカバーしており、関数電卓としても普通に実用的に使えます。自作式の登録もできるようですよ。

---再掲ここまで---

しかし、こういうサイトは楽し過ぎて、時間を無闇に食い潰してしまうからほどほどにしないとね。

薬局と暗越奈良街道

昨日の話の流れで、旧暗越奈良街道であります。

薬局_convert_20150902205030

何となく、薬局との組合せが、ワタクシの印象に残ったので、写真を撮ったわけですが、思った感じにはなりませんでした。構図もぜんぜんだし、自分の写真の腕の低さを嘆いております(こういう写真は愛妻の方が遙かに上手い)。

もう少し写真修行をしないといけないなあ~。
プロフィールなど

Author:プリティラヴ博士(DPL)
くちびる4_convert_20091214215454
--------
いまも愛妻に心のトキメキを覚えるハート庵主人・プリティラヴ博士(DPL)が,皆さまに「愛」の御福分けをいたします.愛妻家および愛妻家ファン必読!過去記事の一覧はこっちだよ.
--------
DPLのプロフィール:愛妻家,甘党男子,散歩家,鉄道青年,活字中毒者,長髪ピンク野郎,英国かぶれ,農学博士,自称経済学者,大学教授(もと経済学部長),馬術部長(残念ながら乗馬経験はありませんが,象にはインドで乗りました)など.主に大阪周辺をチョロチョロしています.

--------
DPLへのメールは,ここ(←メールフォーム)から出してね!


P1020343_convert_20090925225456.jpg

DSCF4284_convert_20100217093716.jpg

一日一回,下のバナーを押して下さいますと,DPLはとても喜びます.

カテゴリ
カテゴリごとのインデックスを頭に付けましたので活用してね!
最新記事
全記事の一覧

全ての記事を表示する

リンク
このブログをリンクに追加する
FC2カウンター
カレンダー(見たい日付をクリック)
<< 12
2018
>>
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。