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あれ?また増えてます

以前に書いた「妻自慢のすすめ」、今も読まれているようで、拍手の数が今日も増えました。

2014年12月26日現在で、トータル23拍手だなあ。このブログで拍手数が20を超えたなんていうのは、この記事が初めてではないかなあ。

先月も、この記事に触れたばかりだけど、ちょっと分量が多すぎるし、この頃の文章って、何だか偉そうだし、読んでいると自己嫌悪に陥ります。でも内容は今も正しいと思うんだなあ。

来年は、愛妻にも、ボクの良い点を100は言って貰えるような夫にならないとなあ~。
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ボクは幸せ

二年半ほど前に、以下のような記事を書いたことがあります。

---以下過去記事再掲---

DPLは,愛妻が愛情を込めて作ってくれた弁当を大学に持参しています.普段は研究室にいることが多いのですが,この季節は学部長室にいることが多く,愛妻弁当も学部長室で食べます.

とても寒い昨日のような日には,特に,愛妻の暖かい愛情を感じます.「ああ,僕って可愛がられているなあ~」とつくづく思います.

「妻に可愛がられる」という表現に違和感を感じる人もいるかも知れませんが,自分としてはそのようにしか表現のしようがないという感じです.


---再掲ここまで---

寒い日じゃないけど、今日もやはり「ああ,僕って可愛がられているなあ~」とつくづく思いましたので、再掲しました。

異議あり!

11月30日の『読売新聞』の「人生案内」を読んでいましたら、以下のような相談が出ていました。

50代後半の主婦。定年で勤めを終えた夫は、海外で新たな職に就いています。本棚を整理していて夫宛てのラブレターを見つけました。/送り主は、夫の部下だった女性。6年ほど前のことです。夫への誕生祝いの言葉と、もっと早くに知り合って親密な関係になりたかったという内容でした。2人で共通の隠語を使ったラブラブの内容でした。/夫に聞いたら「裏切るつもりはなかったが、その人を嫌いではなかった」と打ち明けられました。(中略)夫は「手紙の中だけの恋愛」と言いますが、私は裏切られた悲しさで、近く帰国する予定の夫との生活に自信が持てません。今の夫は夫婦2人仲良く生活を全うしたい、君が一番好きだよと言ってくれますが……。/つらい気持ちを抱えて、どう向き合ったらいいでしょうか。勝手なことを言ってと時々、無性に腹が立ちます。(相談の引用ここまで)

この相談よりも、作家の久田恵さんの回答に違和感を持ちました。以下、回答を引用しましょう。
     
長い結婚生活の中で、この「6年前の部下からの夫へのラブレター発見」が、妻のあなたにここまで打撃を与えるとしたら、これまでの結婚生活が幸せだった証拠だと思います。/しかも「君が一番好き」と夫は言っているのです。帰国した夫に会って、しこりが溶けるかどうかは、あなたの夫への気持ち次第。相手を許せるかどうかは、相手を、今、現在、愛しているかどうかによると思います。/そもそも、「結婚は恋愛のゴール」です。その後も妻を恋の対象として永遠に扱え、というのはなかなかに難しい。あなたも、夫をずっと恋し続けてきたわけではないですよね。(後略)(回答の引用ここまで。下線はDPL)

「結婚は恋愛のゴール」だって!その考え方で、良い結婚生活を送ることができるとは思えないなあ。

「あなたも、夫をずっと恋し続けてきたわけではないですよね」なんて決めつけてはダメだよ。

恋が冷める夫婦が少なくないのは知っているけど、DPLが愛妻を恋し続けるように、そうではない夫婦もいるんだから、「決めつけ」は相談者に対しても失礼です。

自分がそうだった(?)、周りがそう(?)だからと言って、「決めつけ」をするのは想像力の欠如です。

それに、「その後も妻を恋の対象として永遠に扱え、というのはなかなかに難しい」からと言って、浮気は容認されないと思いますが(なんだか次元の違う話だ)。

また、「この「6年前の部下からの夫へのラブレター発見」が、妻のあなたにここまで打撃を与えるとしたら、これまでの結婚生活が幸せだった証拠だと思います」と言うのもいささか単純過ぎる。

「私とはぜんぜんラブラブじゃないのに、別の女性とはラブラブとはどういうことよ~」という不幸せな相談者の怒りかも知れないではないですか。それに、先ほどの「決めつけ」の内容とちょっと矛盾するような感じでもあります。

「これまでの結婚生活が幸せ」だったら、夫を愛しているんですから、久田さんの論法でいけば(久田さんの論法が正しいとして)、相手を許して、今のような悩みは抱かないはず。

「しかも「君が一番好き」と夫は言っているのです」なんて、本気で言っているんですか?そんなもの普通は信じられないよ。現に裏切られているんだから。失った信頼なんて、そう簡単に取り戻せるものではないのだ(恋愛や夫婦関係に限りません)。

「別の女性と隠語を使ってラブラブしていながらよく言うよ」という感じ。なんだか、口先だけの男のような感じだなあ~。相談者の「勝手なことを言って」という呟きは理解できます。

こんな夫は、イビリ倒してしまえ。 

子供のいない夫婦の老後について

DPLと愛妻の間には子供がいません.欲しいのですができません.まだまだ先の話ですが,「子供のいない老後」というものは気になるものです.

そういうわけで,「子供のいない夫婦の老後について」で検索をかけましたところ,以下のようなQ&Aがヒットしました(Q&Aサイトの「OKWave」ね).しかし,この問答が失礼ながら面白いのです(最初の検索意図がどこかに飛んでしまいました・・・).

ちょっと長いのですが,引用しましょう.おしまいまで読んでね(特に最後の質問者の「お礼」を読んで欲しいな).

Q:子供のいないシニア世代のご夫婦の方にご意見が聞きたいのでこちで質問致します。現在41歳の専業主婦です。結婚してから10年ほど経ちますが子供ができないようです。それは夫も私もそれほど残念に思っていないのですが、40歳を過ぎてからリタイヤ後の生活(日常生活)があまりピンと来ないのです。/ドラマの中でもシニアの生活では孫が遊びに来て・・とか子供家族と同居したりとかそういうシーンしか出て来ませんよね?こちらの過去の質問などを見てもやはりそういうシチュエーションしか見かけないような気がします。だから自分たちがシニア世代になった時の様子が全然イメージできません。/シニア世代・・と言ってもリタイア・セミリタイアをされている子供のいないご夫婦っていらっしゃるでしょうか?/多分ほとんどいないのかもしれない・・と思いますが、もしいらっしゃったら普段夫婦お二人でどんな生活をしていらっしゃるのか、またリタイア後はどこ(例えば日本の地方都市とか海外とか)で暮らしていらっしゃるのか、教えて頂ければと思います。

補足: 私たち夫婦は子供がいない分、休日は一緒にスポーツをしたり二人ともアウトドアが好きなので共通の趣味は沢山あります。多分お子さんのいらっしゃるご夫婦に比べて仲は非常にいいと思います。なのでマンネリの不安とかは全くありません。/それと現在は夫の仕事の都合で海外で暮らしています。永住してもいいくらい環境は気に入っていますが、なんせ物価が日本の比ではないくらい高い場所なのでリタイア後は日本の地方都市へUターン移住するか、どこか別の暮らしやすい海外へ移住するか、などと考えています。/もしおすすめの場所があればそれも教えてください。


A:私は、夫婦に 子供が いないことは 寂しいことだと思います。/私が 質問者の立場なら、条件や環境が許せば、養子を考えます。/子供を育てるのは大変ですが、ご年齢的には 決して遅くないと思います。 赤ちゃんから小学校6年くらいまでは、本当に可愛いですよ。

質問者によるお礼:私が唯一、日本に住みたくない一番の理由はこういう自分の価値観が絶対無二のように押し付けてくる人が多すぎることです。ウザすぎです。そりゃうつ病患者も爆発的に増えますよ。/誰も子供を持ちたいんですとは質問してません。/あなたが子供を持っていて幸せなら人にゴリ押しする必要ないのではないですか?悪いけどあなたの人生なんて全然うらやましくないですけどね。世の中にはあなたとは違う価値観の人も沢山いるんですよ。もっと視野を広くお持ちになられた方が世の中のため、子供のためですよ。(下線は引用者)

以上,http://okwave.jp/qa/q4269088.html

引用は以上です.他にも何人かの回答者がいますが,上の問答が一番最初のもので,他はまあ普通の問答になっています.

「お礼」になってないところが「・・・」ですが,質問者がキレるのも理解できないことはない.実際,回答者は質問者の質問に全然答えていませんしね.まあ,質問者も「ウザい」なんて言葉は使わないで,もう少し大人の言葉で書くべきであったとは思います.

しかし,私たちは,この問答を読んで失礼ながら「大笑い」しました.まあ,笑い事ではないですが・・・.

可愛がられているなあ

DPLは,愛妻が愛情を込めて作ってくれた弁当を大学に持参しています.普段は研究室にいることが多いのですが,この季節は学部長室にいることが多く,愛妻弁当も学部長室で食べます.

とても寒い昨日のような日には,特に,愛妻の暖かい愛情を感じます.「ああ,僕って可愛がられているなあ~とつくづく思います.

「妻に可愛がられる」という表現に違和感を感じる人もいるかも知れませんが,自分としてはそのようにしか表現のしようがないという感じです.

今年もまた・・・

昨日は某団体(A協会)が制定した「愛妻の日」というものでした.

単なる語呂合わせ(それもかなり苦しい類)のようですが,「365日,愛妻のことが心のかなりの部分を支配している」DPLには,「1年に1回大騒ぎをされてもねえ」という感じです.

それに,「他人に企画されて,愛妻をハグする」なんて愚の骨頂だと思います.「愛妻家なら日頃からハグしないか!」と一喝しておきましょう.そもそも,「愛妻家的行為=ハグ」などという図式が痛いなあ.

A協会の活動そのものがちょっとマンネリ化しているように思いますが,かくいうDPLの批判の仕方もマンネリ気味です.マンネリ合戦だな(こちらの一人相撲で,向こうは認識していないと思いますが).

哲学者には一生なれない?

以前の記事で,「人生を『達観』するには,『悪妻』を持つと良い」という話をどこかで聞いたような気がします」と書いたまま,調べようともせず忘れていました.

ところが,今日,電車の中で,高橋昌一郎『理性の限界:不可能性・不確定性・不完全性』(講談社現代新書)を読んでいて,次の一節に出くわし,「ああ,ソクラテスだった.ソクラテスの悪妻は有名だったな~」と今更のように思い出しました.

哲学の創始者ソクラテスは「良妻を持てば幸福になれるし,悪妻を持てば哲学者になれる」と自嘲しています.(同書p.11)

冒頭のセリフそのままではありませんが,このソクラテスのセリフをDPLなりに勝手に改変して記憶していたのでしょう(超有名なセリフなのに,何で忘れていたのだろう?).

「愛妻は,明らかに「良妻」ですので,DPLは哲学者にはなれません」と書こうとしまして,ソクラテスのこのセリフは,哲学者であるための「十分条件」であって,「必要条件」ではないことに気がつきました.

ソクラテスのセリフを忘れた上に,「十分条件」と「必要条件」を間違えるなんて,恥ずかしい(;´Д`A ```.

「愛妻家」の検索トレンド

以前,このブログで,「愛妻家」という文字が出現する新聞記事の数をカウントして,トレンドを示したことがあります.もう少し分析を進めようと思いながら,放置していました.

そこで,思い出したように(突然です.今から10分前),今度は,「世間の人に『愛妻家』がどれだけ関心を持たれているのか?」を明らかにするべく,「愛妻家」をキーワードにした検索動向を調べてみました.このような調査に威力を発揮するのが,"Google Insights for Search"です.

"Google Insights for Search"は,Google検索の検索キーワードの動向を時系列的に把握できるツールです."Google Trends"でも同じようなことが出来ますが,機能がより強化されているようです.特に地域別の検索トレンドが判るようですね.

過去は,2004年まで遡ることが出来ます.なお,比較のために,「恐妻家」の検索トレンドも同時にプロットしてみました.結果はこんな感じ(データは月単位です).



「愛妻家」に1つ極端な山がありますが,薬師丸ひろ子主演の映画『今度は愛妻家』の上映時期に当たっており,この関連で検索が増えたようです.「恐妻家」よりも「愛妻家」が人気(?)のキーワードのようですね.

それにしても,"Google Insights for Search",すごいな!

なお,縦軸は,検索ボリュームそのものではなく,指数化されています.詳しくは,鈴木謙一氏の『海外SEO情報ブログ』に解説があります.

他の検索キーワードの動向と組み合わせることで,もう少し分析が出来そうな気もします."Google Insights for Search"をマーケティングで利用している企業も少なくないように思いますが,「使い方」次第なんでしょうね.

と言うわけで,「それがどうした?」という内容になってしまいました.また,何か進展がありましたら,ご報告申し上げます.

「人間原理」から考えたこと

宇宙というものは,様々な姿(パラメータ)をとる可能性があったわけですが,しかし,そのような中で「人間のような高度な知性を持つ生命体が生まれるような宇宙」が誕生する可能性は,極めて小さいものであったようです(ほとんど確率ゼロ?).

つまり,我々が存在している宇宙は,極めて絶妙なバランスの上に成り立っています.このバランスが少しでも崩れていれば,人間は存在できなかったでしょう.何とも不思議なことです.

この不思議を説明する考え方に,「人間原理」というものがあります.物理学や宇宙論の中で議論されているもののようですが,簡単に言ってしまいますと,「宇宙の絶妙なバランスがなぜ成立しているのか」を,「それを観測する人間が存在している」ことに求めるものです.

要するに,「人間が存在するからこそ,宇宙が観測(認識)できるのであって,観測(認識)する人間が存在する以上は,宇宙は,人間の生存に適したものでなければならない」というような理屈です(間違って解釈していましたら,ごめんなさい).

物理学の原理というよりも,むしろ論理学に近い議論のような気がしますし,一寸,屁理屈のような気もしないではないのですが,面白い考え方だと思います(私が誤解していなければ).

しかし,結局,言っていることは単純で,「現在の宇宙は,無数にある可能性の1つに過ぎず,その意味で特別なものではない.特別に見えるのは,たまたまその宇宙で生まれてしまった我々の生存に適しているから」ということなのでしょう(多分).

愛妻との出会いも絶妙なバランスの上に立っていますが,そのバランスが不思議でたまりませんでした.しかし,この「人間原理」を応用しますと,その不思議が少しは解明できそうです.

例えば,結婚相手として,Xさん,Yさん,Zさんとそれぞれ出会う可能性があったとしましょう.さらに,相性は,X(最適)>Y(普通)>Z(最悪)の順序となっているとします(結婚してみて初めてわかるとします).そして,最初に出会った人と結婚すると仮定します(出会う確率は等しいとします.まあ,別に等しくなくても良いのですが).

そうしますと,たとえば可能な世界は,以下の3通りになります.

世界1:Xさんと最初に出会い,Xさんと結婚し,幸せな生活をおくる
世界2:Yさんと最初に出会い,Yさんと結婚し,そこそこの生活をおくる
世界3:Zさんと最初に出会い,Zさんと結婚し,不幸な生活をおくる

多分,「世界1」と似た状況が,私には実現しているのでしょう.このような場合は,「これは,運命の出会いだ」と認識する筈です(一方,「世界3」が実現している場合は,「結婚は人生の墓場だ」と思うかも知れません).

さて,ここで「人間原理」に倣って解釈しますと,「現在の結婚生活は,多くの可能性(ここでは,「世界1」~「世界3」)の1つに過ぎず,その意味で特別なものではない.特別に見えるのは,たまたま,出会った相手との相性が良かったからである」というあまりロマンティックではないものになるでしょう.

「人間原理」の誤用のような気もしないではありません.しかし,「なぜたまたま出会ってしまったのか?」という謎は依然として残るような気がするのです.やはり,「赤い糸」ってあるような・・・.

付記:「人間原理」にはバリエーションがあるようです.しかし,読んでわかると思いますが,ここではマルチバースの考え方に立脚したものを念頭に置いています.

家内

昨日の記事,意外と反響がありました.

このブログ,だいたい平均しますと1日に20~30人の人が訪問してくださいます(「少ないなあ」なんて言わないでね).そのうちの3人の方からコメントをいただきました(2011年10月21日20時現在).

「批判的なご意見かも」とドキドキして開きましたが,おおむね肯定的なコメントで,「ああ皆さん同じ感覚なんだ」と,少しホッとしました.拍手も6つきましたので(これも,2011年10月21日20時現在),「少なくとも6人の人には肯定していただいたんだ」と一寸嬉しくなりました.

ところで,昨日,大事な言葉に言及し忘れました.それは,「家内」です.多分,「相方」とか「パートナー」という言葉を使いたがる人は,この言葉に対する反発が強いのだと推測します(間違っていたらごめんなさい).

なるほど,「男女平等参画社会」や「男女共同参画社会」にあっては,「家内」なんて表現はまったくもって許されない表現なのかも知れません.「この言葉を抹殺せよ」とか「放送禁止用語にすべし」という意見の方もおられるでしょう(多分).

しかし,私は,「かない」という響きは悪くないと思っています(でも,愛妻のことを「家内」と言ったことはまだありません).「家内」という言葉をスマートに使っている人を好ましいとも思います.

少なくとも私が接している範囲においては,「女性は家にいればいい」なんていう男女差別意識が根底にあって,「家内」を使っている人は殆どいないように思います.

慣用的に使っているうちに,もともとの意味がどこかへ行ってしまって,違った意味を付与されている言葉も多いわけですが,「家内」もその一つでしょう.字面に拘って,表現の選択肢を潰して行くことが賢明な行為とは思いません.

言い古されていますが,結局は,どのような言葉でも,使う人の心の持ちよう次第なんですよね.「そんなこと言うなら,『相方』や『パートーナー』だって同じだろう.私は愛する妻への思いを『相方』に込めているのだ」と言われてしまいますと返す言葉がないのですが・・・.

まあ,私が「相方」や「パートナー」に嫌悪感を抱くのは,そこにポリティカルな臭いをかいでしまうからでしょう(多分).

何となく気持が悪い

他人と喋っているときに,自分の配偶者のことを「相方」とか「パートナー」と表現する人が増えているように感じます.使い手には,「進歩的(?)」な人が多いようです.いかにも「男女平等参画社会」的な呼称ですが,しかし,率直に言って「気持が悪い」のです.

多分,個人的感覚なのだと思うのですが,配偶者について語る文脈で,これらの言葉を耳にしますと,蕁麻疹が出そうになります.DPLは,愛妻のことを「相方」なんて,とても表現できません.まあ,DPLにとって,愛妻は親友以上の存在ですが,「妻」は「妻」です.

「妻」は,情緒のある美しい言葉だと思うのです.それを「相方」だの「パートナー」だのといった情緒を消去した言葉に置き換えて欲しくないと思うのです(それに,なんだか,相手が「取り替え可能」というニュアンスを感じてしまうんだなあ).いっそ,「私の配偶者」とでも言ってくれた方が,「潔さ(?)」を感じて,まだマシです.

ところで,「うちの奥さん」「うちの奥様」と表現される方もいらっしゃいます.これは,何となく微笑ましい.

と言うわけで,以上は,単なる「好き嫌い」の話です.該当する人は気にしないで下さい.

人生を「達観」するには?

愛妻との二人三脚の人生を謳歌しているDPLですが,人生を「達観」する段階にはまだまだ達していません(「『達観』したくもないなあ」と負け惜しみ状態).

しかし,「人生を『達観』するには,どのような勉強をしたらよいですか?」と問われれば,無責任にも多分次のように答えるでしょう.

難解な哲学書を読むくらいであれば(特に悪訳を読むのは完全な時間の無駄),以下の2つのジャンルの本を読め.
1.物語性の豊かな小説(いたずらに難解なだけの小説は読むな)
2.確率論


1はまあ良いとして,2は「?」と思うかも知れません.しかし,人生,確率が問題になる場面が実に多いのです.とは言っても,別に「確率を飼い慣らして最適な意思決定をせよ」と言っているわけではありません.不運や幸運に遭遇したときに,自分が置かれた状況を「客観視」することこそが「達観」であり,そのためには確率論の勉強が多少は役に立つということです.

と言うわけで,DPLお勧めの本は,

ウィリアム・フェラー著(河田龍夫監訳)『確率論とその応用 I 上・下』紀伊國屋書店,1960年.

古い本ですが,確率論の名著として知られています.版を重ね,翻訳が出版されてから50年が経過した今でも新品で入手出来ます.DPLは,原書(下の写真)も入手し,座右に置いて楽しんでいます.

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他にも,確率論の新しい本も,幾つか出版されていますから,ご自分に合った難易度やスタイルの本を選ばれると良いと思います(小島寛之『確率的発想法:数学を日常に活かす』NHKブックス,2004年などもお勧め).

それから,「人生を『達観』するには,『悪妻』を持つと良い」という話をどこかで聞いたような気がします(DPLの勘違いかも知れませんが,この命題に納得するところはあります).これでは,「良妻」を得てしまったDPLは,一生,「達観」出来そうもありませんが・・・.

「愛妻家」はいつ確定するのか?

先日,総務大臣K氏が再婚されました(イニシャルにする必要は無いのですが,こういう話題で検索に引っかかるのも何となく嫌なので,K氏とさせていただきます).他人事ながら喜ばしく思いますが,ネット上の様々な意見を管見する限り,世間の反応は複雑な様です.

よく知られているように,K氏は,前の奥様と昨年死別されたのですが,「愛妻家」として大変知られた方でした.DPLも,感情移入して「K氏も,最愛の奥様を亡くされて,大変辛い日々を送っておられるのであろう.痛ましいことだ」と,これも他人事ながら胸を痛めていました(愛妻が先立つ状況なんて想像もしたくありません).

世間でも,DPL同様の見方をする人が少なくなかったようですが,前の奥様が亡くなられてから1年ほどでK氏が再婚されたことには,皆「驚き」を禁じ得なかったようです.

世間の「驚き」の理由には大きく2つありそうです.1つは,「『愛妻家』は,妻と死別した場合,再婚はしない」という規範的(実証的?)命題を信じている人が少なくないということです.もう1つは,「『愛妻家』に限らず,配偶者と死別した後,すぐさま再婚するなんて,人としてどうかなあ・・・」と言ったものです(「余計なお世話」なんですがね).

前者は,「真の『愛妻家』は,生涯たった一人の妻を愛し続ける.たとえ妻に先立たれても,その『思い出』だけを糧に生きて行ける」(或いは,逆に「妻に先立たれたショックで衰弱死してしまう」人も「真の『愛妻家』」に含まれるかも知れません)という,幾分ロマンティックな「愛妻家」像に基づくものであると言えましょう.

DPLも,どちらかと言えば,このロマンティックな「愛妻家」像を信奉するものですので,K氏の再婚はいささかショックでした.まあ,しかし,ショックを受けたからと言って,他人の決断にどうこう言うつもりは毛頭ありません(事情も知らずに,他人が「どうこう」言うのは無責任であり厳に慎むべきでしょう).

とにかく,DPLの目には,K氏は「生涯たった一人の妻を愛し続けるロマンティックな『愛妻家』」に映っていたのです.しかし,それは違いました.この事実がDPLのショックの源なのでした.

それにしても,世間は残酷です.K氏のような行動をとると,「時間を遡って,過去に『愛妻家』であったことも取り消されてしまう」ような勢いです.結局,その人が「真の『愛妻家』」なのか否かは,その人の人生が完結してみないとわからないのかも知れません.DPL自身も含めて,すべての「愛妻家」は「暫定愛妻家」なのでしょう.

今回のK氏の再婚話,一種の「スキャンダル」ととる向きもあるようですが,意外と考えさせられました.

碩学の言葉

ここ2,3日,通勤の電車の中で,我が国を代表する数理統計学者・竹内啓氏の統計学関係の久しぶりの単著である『偶然とは何か-その積極的意味』(岩波新書,2010年.下の写真)を読んでいました.

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小さい本ですが,話題は,数理統計や確率論に留まらずに,生物の進化や人間の歴史にも及びます.氏のどの書物もそうですが,広く深い教養に裏打ちされた含蓄に富んだ内容で,再読に値する書物だと思いますが,内容の紹介は別の機会にすることにしまして,今日はその中で次の箇所が心に残りましたので引用することにしましょう.

『配偶者を選択する場合,Aと結婚をした場合とBと結婚をした場合,その後の人生は大きく変わるかもしれない.どちらの場合にも無限に多くの不確実性がふくまれていて,幸福になることも,不幸になることもあるであろう.その場合,できる限りありとあらゆる起こりうることの確率を調べて,「幸福度」の期待値が大きくなると計算された方を選ぶべきであろうか.しかしそんなことは不可能に近いし,かりに可能であったとしても,無限に多くの可能な人生についての「期待幸福度」に何の意味があるだろうか./配偶者を選ぶとき「期待幸福度」の計算などに頭を悩ますよりも,好きだと思う人と迷わず結婚して,幸福な生活を築くための努力をする方がよほどよいと思う.』(同書p.180)

引用した箇所は,「不確実性の下での意思決定」の理論を批判する文脈で書かれたものです.特に,『好きだと思う人と迷わず結婚して,幸福な生活を築くための努力をする方がよほどよい』という部分,意思決定理論なども熟知した碩学の言葉であるだけに重みがあります.

DPLも,もちろん計算などせずに,「大好きな」愛妻に「迷わず」プロポーズをして結婚しました.「『幸福な生活を築くための努力』をしているか?」と問われますと,道楽亭主は,答えに窮しますが・・・.

恋愛算術

昨日考えました「失恋問題」をもう一度取り上げます(「補足」のつもりですが,今日の記事だけでも独立して読めます).昨日は肝心の確率計算の方法を割愛しましたので,今日はきちんと明示することにしましょう.

まず,昨日の記事を読んでいない読者のために,もう一度問題を書きましょう(色付きの部分は,昨日の記事を読まれた方はスキップしていただいて構いません).

ある男子学生(A君)とある女子学生(Bさん)がいるとして,たまたまA君とBさんの目と目があった時に,BさんがA君に微笑みかけたとします(A君自身は秘かにBさんに恋心を持っていると仮定します).異性にモテたことの無いA君は「Bさんは自分に気があるに違いない」と感じて一人相撲をとりはじめ,意を決して恋の告白をしますが,実はA君の勘違いで,結局「ノー」と言われたとします.A君は何を間違えたのでしょう?

ただし,「女性がA君に異性として好意を持つ確率」を0.1%,「女性が,好ましいと思う異性と目があった場合に限り微笑みかける確率」を90%,「女性が,好き嫌い関係なしに,目があえば(お愛想で)微笑みかける確率」を5%とします.


答えは,「BさんがA君に異性として好意を持つ確率は,たったの2%にも満たない」というものでした.

さて,肝心の計算方法です.ここでは「ベイズの定理」を表に出さないで説明しましょう.求めるのは「BさんがA君に異性として好意を持つ確率」です.これは別に,Bさんに限定せずに「A君が女性と目と目があって微笑まれた場合に,A君がその女性に異性として好意を持たれている確率」と言い換えても良いでしょう.

まず,「女性が,目と目があった異性に微笑む」という事象の背後には,2つの状況があることに留意しましょう.即ち,「その異性に好意を持っているが故に微笑む」場合と「好き嫌い関係なしにお愛想で微笑む」場合です.

ところで,「女性が,好ましいと思う異性と目があった場合に限り微笑みかける確率」は先に書きましたように90%,「女性が,好き嫌い関係なしに,目があえば(お愛想で)微笑みかける確率」は5%ですので,仮に世の中の女性の数が1000人としますと,「異性に好意を持っているが故に微笑む女性」は1000×0.9=900人,「とりあえずお愛想で微笑む女性」は1000×0.05=50人ということになります.

さて,では「A君に好意を持っているが故に微笑む女性」(これは「異性に好意を持っているが故に微笑む女性の中で,A君に好意を持っている女性」同じです)の数はどうなるでしょう?「女性がA君に異性として好意を持つ確率」を0.1%としましたので,900人のうちの0.1%,即ち,900×0.001=0.9人で,ほぼ1人ということになります.

そうしますと,「目と目があった場合にA君に微笑む女性」の数は,「A君に好意を持っているが故に微笑む女性」の数と「お愛想で微笑む女性」の数を足し合わせたものになりますので,1+50=51人ということになります.

求めたいのは,「A君が女性と目と目があって微笑まれた場合に,A君がその女性に異性として好意を持たれている確率」でしたが,これは「目と目があった場合にA君に微笑む女性」(その数は約51人です)の中で「A君に好意を持っているが故に微笑む女性」(その数は約1人)の割合,要するに1÷51=0.0196に相当します.結局その確率は「2%未満」ということですね(昨日の数字とは一寸違いますが,0.9を1にして計算しているためですね).

「ベイズの定理」を表に出さないで説明をする便宜上,「世の中の女性の数を1000人」としましたが,別にこれは本質的なことではなくて,計算の前提条件として挙げた確率値さえあれば,「ベイズの定理」を使って直接計算できます.

まあ,しかし,「微笑まれた」という事実が無ければ,「BさんがA君に異性として好意を持っている確率」は0.1%(ほとんどゼロ)に近いわけですから,それに比較すれば2%弱という確率は,ある意味「なかなかのもの」です(ちょっと苦しいかな・・・).

ちなみに,DPLが愛妻にプロポーズをした時には,最初はあっさり断られました(その時の話はココね).どうも,A君同様に確率計算を誤ったようです.

人は何故自惚れるのか?

統計学書を読んでいて,何気なく「ベイズの定理」の式を見ていましたら,「人は何故自惚れるのか?」を説明できることに気が付きました(たいした話ではありませんし,誰でも思いつきそうな話です).

次のような問題を考えましょう.

ある男子学生(A君)とある女子学生(Bさん)がいるとして,たまたまA君とBさんの目と目があった時に,BさんがA君に微笑みかけたとします(A君自身は秘かにBさんに恋心を持っていると仮定します).異性にモテたことの無いA君は「Bさんは自分に気があるに違いない」と感じて一人相撲をとりはじめ,意を決して恋の告白をしますが,実はA君の勘違いで,結局「ノー」と言われたとします.A君は何を間違えたのでしょう?A君に同情の余地はあるのでしょうか?

ここで,A君は女性にモテる要素を殆ど持ち合わせておらず,「女性がA君に異性として好意を持つ確率」を0.1%とします(ゼロで無いのは「蓼食う虫も好き好き」だからです).また「女性が,好ましいと思う異性と目があった場合に微笑みかける確率」を90%とします.さらに,「女性が,別に好ましいと思わない異性であっても,目があえば(お愛想で)微笑みかける確率」を5%としましょう.

以上の確率値を前提にしますと「ベイズの定理」により,「BさんがA君に異性として好意を持つ確率」が計算できます.簡単な計算で,およそ0.0177となります.つまり2%にも満たないという結果になります.要するにA君はたった2%にも満たない可能性に賭けていたことになります.

実は,この問題は,以前このブログで紹介しましたゲルト・ギーゲレンツァー著,吉田利子訳『リスク・リテラシーが身につく統計的思考法-初歩からベイズ推定まで-』(以下『統計的思考法』と略)という本の中に出てきます次の問題と同型です.

ある地域で乳癌検診に参加する40歳から50歳までの自覚症状のない女性について,『これらの女性の一人が乳がんである確率は0.8パーセント.また,乳がんであれば,検査結果が陽性になる確率は90パーセントです.乳がんでなくても,陽性とでる確率は7パーセントあります.ある女性の検査結果が陽性と出ました.この女性が乳がんである確率はどれくらいでしょうか?』(p.71).

この本を紹介した時にも書きましたが,これは典型的な「ベイズの定理」の応用問題で,答えは「9%」です.しかし,『統計的思考法』の著者らは,現役の医師に上の問題を実際に出題して,正答者は48人中わずか2人だったという結果を得ています.しかも,医師の回答の最頻値は「90%」(!)という驚くべき(背筋が寒くなる)結果だったそうです.人間がいかにこの種の思考に弱いかを示す例になっています.

さて,ここで紹介しました大多数の医師と同様の推論をA君がしていても不思議ではありません.つまり,A君は「Bさんが自分を異性として好いてくれる確率は90%」と誤解した可能性大です(秀才の医師ですらそうなのですから).要するに,A君は,「微笑まれた」事実を過大評価し,自分が「もてない男」である高い可能性(100-0.1=99.9%)を無視し,「女性が,好ましいと思う異性と目があった場合に微笑みかける確率」(90%)に引き摺られるような形で推論したと言えるでしょう,

それにしても,「目と目があって微笑まれると,相手が自分に気があるのではないかと思ってしまう」のは,A君だけでなく,多くの善男善女が経験していると思うのです.そんな時は,皆さんも,これからは一歩引いて「自分を冷静に見つめるようにした方が良いでしょう」という教訓でした.

ところで,今日の記事のカテゴリは「愛妻家論」に入れました.愛妻も愛妻家も出てこない話でありましたが,広い意味で「恋愛論」「結婚論」に関係する話題はすべて,このカテゴリに入れる予定です.

プロポーズ大作戦

一昨日の記事で,坂井豊貴『マーケットデザイン入門』(ミネルヴァ書房)を購入した話を書きました.さらに,同書の中に,「一対一マッチング」(「結婚マッチング」とも呼ばれる)の解説があることも紹介しました.

ところで,「結婚マッチング」の課題は,同書によれば,望ましい男女間のマッチングを実現することですが,その際の「望ましさ」の基準としては,「破局」や「浮気」が発生しないことを含意する「安定性」という概念が用いられます(あくまでも「一対一マッチング」を男女間のマッチングに応用する場合ね).

坂井氏の本では,この「安定性」を満足する解を求める手続きとして,Gale & Shapleyによって考案された「DAアルゴリズム」が紹介されています(第7章がすべてそれに当てられています).例としては「結婚」そのものではなく,ストーリーに馴染みやすい「合コン」を念頭に置いて説明が進められています(そもそも,本書で「結婚」や「合コン」を扱っているのは説明の便宜上のことで,「一対一マッチング」のための汎用的なアルゴリズムの解説が目的なのでしょう).

さて,ここでは肝心要の「DAアルゴリズム」の説明は飛ばしまして(本当はこの部分が面白いのですが,数学的手続きを言葉で簡潔に説明する時間的余裕が無いので),結論だけ紹介することにしましょう(以下,同書p.134の要約です).

結果的に,男女いずれがプロポーズしても安定的なマッチングが実現されますが,男性にとっては男性がプロポーズした方がより望ましいマッチングが得られます(女性の場合も同じで,女性がプロポーズした方が,女性にとっては良い結果が得られます).

それから,ここが面白いところだと思うのですが,『プロポーズする側にとっては真の選好を申告することが最適である一方,プロポーズを受ける側にとってはそうとは限らない』(同書p.134)という結果が得られています.

一定のルールの下で,「合コン」参加者が,「プロポーズ」,「キープ」,「振る」という行為を繰り返すことが前提になっている議論ですので,現実の結婚問題にそのまま適用出来るわけではありませんが,何となく含蓄のある結果だと思いませんか?

ところで,DPLと愛妻の場合は,もちろん,DPLがプロポーズしました(このブログでも何回か書きましたね).しかし,「合コン」で知り合ったわけではありません(念のため).

大日本愛妻家協会

今日も冬の天気であります.こんな日は,愛妻が暖かい料理を作って,帰りを待っていてくれることが何よりも有り難いですね(冬の独身はひたすら侘びしい存在です.思い出すだけで泣けてくるなあ).

さて,本題.昨日の記事では,『日本愛妻家協会』の最近の活動が気になって,『読売新聞』の記事データベースを検索した云々を書きました.今日は,ついでに『日経テレコン21』を使って『日経』4紙の記事検索をしてみました(経済学者の端くれなんですから,最初から『日経』を検索してみるべきでした).

結果はわずか6件でした(昨日同様に『日本愛妻家協会』をキーワードに検索).内訳は,1989年が1件,2006年が1件,2008年が2件,2010年が2件でした.流石に経済新聞の関心を惹くような団体では無いようです(最初から結果は見えていましたね).

それは兎も角,気になったのは1989年に1件ヒットしたことです.だって,『日本愛妻家協会』の設立は2004年なんですから,どうして1989年に『日本愛妻家協会』という言葉を含んだ記事が存在するのでしょう?

そこで,実際に本文を読んでみることにしました.以下,引用です.

『無類の愛妻家である。その理由は「妻が私よりケチだから」と笑う。妻の協力がないとケチはできんということで「大日本愛妻家協会」を作る。「妻を愛するということは心の問題でタダでもできまっしゃろ」。/ケチではあるが健康維持には何よりも気を使う。体に合わないと二十年来、肉を口にしない。たばこ、酒もやらない。「病気になったことがない」が自慢で「健康で長生きしよう会」の会長でもある。』(大阪夕刊 (関西トレンディ), 30ページ).

これは,大阪マルビル・大阪第一ホテル社長(当時)の吉本晴彦氏へのインタビュー記事のようです.吉本氏は,『日本愛妻家協会』に先立つこと15年以上も前から『大日本愛妻家協会』なるものを作っていたのです!組織の実体は不明ですが,面白いではありませんか.『妻を愛するということは心の問題でタダでもできまっしゃろ』という言葉に大阪人らしい含蓄が感じられます.この言葉を額面通り受け取るかどうかは別にしまして,DPLは『日本愛妻家協会』より『大日本愛妻家協会』の方が個人的には好きだな.

愛妻家の時代?

急に冬になりました.「何もこんなに急に寒くならなくてもよいではないか!」と少々憤っています(DPLも愛妻も寒いのが大嫌い!).それにしても良い季節が短いなあ.

さて,しばらく「愛妻家論」をお休みしていました.お休みしていたからと言うわけでも無いのですが,最近『日本愛妻家協会』のことをあまり目にしたり耳にしたりしなくなったような気がします(このブログを以前から読んでおられた人はおわかりのように,DPLは同協会に批判的です.例えば,コレを見て!).

たまたま,DPLが『日本愛妻家協会』関連のニュースを読み過ごしたり聞き逃したりした可能性もありますので,新聞データベースで確認してみることにしました(こんなことをしている場合ではないのですが・・・).今回は『読売新聞』に限定しました.単純に,『日本愛妻家協会』をキーワードに記事検索をしてみました.結果は,以下の通りです(ヒットした記事件数ね).

2006年:5件
2007年:7件
2008年:5件
2009年:7件
2010年:3件(但し,1月1日~10月27日)

思ったより少ないですね.2005年以前は0件ですが,2004年設立なので,まあこんなものでしょうか(設立はニュースにならなかったということでしょうか.少なくとも『読売新聞』では).

2006年からは2年周期で5件と7件の繰り返しですね.この周期が今後も続くとすれば(何の根拠もありませんが),今年は5件(?)の年の筈(?)ですが,2件足りません.今年は,まだ2ヶ月ほど残っていますので,滑り込みセーフの可能性もありますが,このままフェードアウトしていくような気もしないでもありません.

最後の記事は,4月29日の投書欄です.それから半年間,該当記事数はゼロです.DPLにとって,同協会は批判対象ではありますが,それでも「ひょっとして活動を止めてしまったのでは?」と少し心配になりました.そこで,同協会の公式サイトを訪れてみることにしました.そうしますと,ちゃんと活動をしておられることが判明.

例えば,9月12日には,群馬県嬬恋村のキャベツ畑で愛を叫んでおられまして(恒例のようですね),同サイトにも『標高1200mの広大なキャベツ畑の真ん中にある叫び専用台から浅間山に向かって、男たちが今まで言えなかった愛と感謝の言葉を叫びます』という記載があります.

しかし,これは少なくとも『読売新聞』では記事にならなかったのですね.ちなみに昨年は『届け!俺の愛 嬬恋「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ」』という見出しで記事になっています(2009年9月14日東京朝刊). 今年は,なぜ記事にならなかったのかは,わかりません(ひょっとすると,他の新聞では大きく取り上げられているのかも知れません).

DPLとはスタンスが違いますが,『日本愛妻家協会』の皆さんには,これからも頑張っていただきたいと思います.本当ですよ.

心に残った「愛妻家」

日曜日ですが,また大学に出てきまして,ごそごそと期末試験の採点の続きでした.しかし,今日も採点は終わりませんでした・・・.休日なのに,お弁当をこしらえないといけない愛妻も大変です.

さて,今日は,心に残った新聞記事を一つご紹介いたしましょう.『読売新聞』の今年2月14日付けの記事です.国立がんセンター名誉総長の垣添忠生氏(68歳)が昭子夫人(忠夫氏より12歳年上)を自宅で看取った話です.要約している余裕がありませんので,部分的に以下,引用いたしましょう(青字は垣添氏の談話部分,赤字は記者による説明部分).なお,DPLの感想は最小限に留めました.

『昭子さんは垣添さんより12歳年上。周囲の大反対を押し切っての結婚だったという。病弱ながら、垣添さんの海外出張にも同行し、国内外の研究者と家族ぐるみで交流するなど、多忙な垣添さんの仕事を支えた。子どもがいなかった二人は、休日には登山やカヌーを共に楽しみ、強い絆(きずな)で結ばれていた』

ところが,2006年春に,奥様に「小細胞がん」が見つかり,2007年10月には脳,肺,肝臓,副腎への転移が判明したそうです.

『妻には事実を率直に伝えましたが、取り乱すこともなく、淡々としていました。検査の時の様子から、結果が良くないことは薄々感じていたのでしょう。すぐに入院し、抗がん剤の治療を続けましたが、効果よりも副作用がひどく、口内炎で水を飲むのもつらい様子でした。この頃の妻はもう、自分の命をあきらめていたのかもしれません。一度だけ「こんなにつらい治療を受けているのは、あなたのためですよ」と言われ、絶句したことがありました。/そんな妻が唯一強く希望していたことは、「年末年始は自宅で過ごしたい」ということでした』

『07年12月には、昭子さんは背中や脚がむくみ、起きあがれない状態になっていた。垣添さんは、妻の希望をかなえるため、在宅用の医療機器や医薬品、酸素などの手配を進めた』

『当初は訪問看護師を頼む予定にしていましたが、家の中に知らない人がいたら落ち着かないだろうと、すべて私が世話をすることにしました。看護師から、点滴の自動注入ポンプの取り扱い方法などの猛特訓を受けました。/12月28日、久しぶりに自宅に帰ると、妻はたいそう喜びました。夕食は妻のリクエストで九州から取り寄せておいた、アラという白身魚の鍋。抗がん剤の副作用で食べ物を口にするのがつらいはずなのに、おいしそうに食べてくれました。「連れて帰ってきて本当に良かった」と私もうれしかったですね。/が、夫婦として普通に会話を交わせたのは、この時が最後でした。翌日からどんどん容体が悪化し、30日には意識も遠のき、大みそかの夕方、静かに息を引き取りました』

『火葬も済み、1月5日にがんセンターに出勤すると、机の上に仕事が山積みになっていました。昼間は仕事に没頭していれば、妻のことを考えなくて済むので良かった。/問題は夜と週末。妻はおしゃべりだったので、家ではいつも二人でいろいろな話をしていました。その話し相手がいないのがつらかった。寂しさを紛らわすため、大量に酒を飲み、満足な食事を取らなかったため、体重が激減しました』

愛妻とのおしゃべりが何よりの楽しみのDPLには(垣添夫妻と同じように子供もいません),『家ではいつも二人でいろいろな話をしていました。その話し相手がいないのがつらかった』の部分が痛いほどわかります.感情移入して読んでいましたので,この部分で思わず涙してしまいました.

しかし,以下のくだりを読んで少し救われました.

『ようやく少し上向きの気持ちが出てきたのは、3か月を過ぎた頃。こんな私の状態を、妻は決して喜んではいないだろう。それに、今後は一人で生きていかねばならない。そのためには健康が大切、と思うようになりました。(中略)二人の趣味だった登山とカヌーも、一人で再開することにしました。/08年の夏、日光の奥白根山に登った時のことです。道を間違えてくたびれ果てて、ひと休みしていた時、1メートルも離れていない目の前にメボソムシクイという野鳥がとまり、のどの奥まで見えるほど大きな口を開けて「チュルチュルチュル」と鳴くんです。妻が「あなた、こんなところで何してるのよ」と励ましてくれているように感じました。/ほかの山でもナキウサギが私の袖に触れるほど近くをバーッと横切って行ったり、アサギマダラというチョウがいつまでもヒラヒラと近くを舞っていたり……ということがあり、いつも私のそばに妻がいてくれると感じます』

DPLが,これ以上余計なことを語る必要は無いでしょう.しかし,垣添氏のような人が本当の「愛妻家」なのだろうと思います.

愛の力

DPLが書斎で仕事をするときは,音楽を聴きながらのことが多いのですが,ジャンルにはあまり拘らない方で,クラシックでもジャズでもロックでも何でも聴きます(演歌だけはちょっと・・・.北島三郎とか,森進一はまだ許せるかな?).しかし,好きになると特定の演奏家や歌手,作曲家のものだけを聴き続ける傾向があります.
 
ここ数年は,サラ・ブライトマンにはまっています(愛妻もファンです).彼女の歌声は勿論ですが,その話し声,話し方も大好きです.とても,心地よい気分にさせられる声ですね.

勿論,昨年春に大阪城ホールにサラが来た時は,愛妻と生サラを拝聴しに行ってきました.S席でしたので,オペラグラス無しでも,お顔を拝むことが出来ました.アレッサンドロ・サフィーナとの「大いなる世界」「オペラ座の怪人」のデュエットは鳥肌ものでした.

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(これは,ほぼ同曲目を収めたウィーン・ライブのDVD)

「オペラ座の怪人」と言えば,何年か前にロンドンのハーマジェスティ劇場まで愛妻と観に行きました.その時はもうクリスティーヌ役はサラではありませんでしたが,彼女がその昔歌い踊っていた舞台であるというだけで私は感激しました.

でも,やはりサラの演じるクリスティーヌが観たかったなあ.もう一度あの舞台にサラが立つことがあれば,万難を排してロンドンまで飛んで行きます.

それにしても,「オペラ座の怪人」のアンドリュー・ロイド・ウェーバー(サラの元夫) の作曲は,他の作品に比較すると異様に冴えていると思います.サラを愛する彼の気持ちが,彼の才能を最大限引き出したのでしょう(二人はその後離婚しましたが,「オペラ座の怪人」の作曲をしていた頃は,愛が最も燃えさかっていた時期だったと思います).

同じように,愛妻を愛するDPLの気持ちが,三日坊主のDPLにブログを続けさせているのでしょう(才能の無いDPLなので,話のスケールが一寸小さいのですが・・・).

恋愛結婚のパラドックス

さて,昨日の話の続きで,今度は「恋愛結婚」に話を進めましょう(本当は続けて書くつもりは無かったのですが).ちなみに,DPLと愛妻の結婚は,「非見合い結婚」という意味で「恋愛結婚」のカテゴリに入るかと思いますが,厳密には「片思い結婚」です.

昨日紹介しました森下伸也ほか著『パラドックスの社会学』(以下『パラ社』と略)から,また引用します.特に,第2章第5節の中の『恋愛結婚のパラドックス』という項からの引用です.

『ところが,このような恋愛結婚では,恋愛はたかだか結婚のための手段ないしはそれへの過程にすぎず,目的の結婚にいたって恋愛はおわる』(『パラ社』p.168).

引用文の中の『このような恋愛結婚』とは,『結婚が社会的制度なのに対し,恋愛はそもそも制度を破り,制度をこえ,制度を否定するものだった』(『パラ社』p.167)が,近年は,『結婚前の男女の好意を意味するようになり,もともともっていた危険性がなくなり,安全で無害なものになった』(『パラ社』p.168)という『恋愛概念の意味変容』後の『恋愛結婚』を指します.

『パラ社』の著者らは続けて次のように書きます.

『というのは第一に,結婚後は恋愛が必要ではないから,自己をヨリ魅力的にしていく努力もせず,ひたすらに堕落と馴れ合いをかさねてゆくからだ.第二に,なんの障害も,なんの禁止もない恋愛は激しく自己をかきたてるモメントを欠き,ただ意気消沈してゆくしかない.第三に,さきのコケットリ論から容易に推測できるように,結婚はイエスの一元論にかたまることだから,イエスとノーのあいだの自由な揺れという遊びがなくなり,したがって恋愛を活性化するはずの魅力が失せてゆくからだ』(『パラ社』p.168).

なお,ここで『パラ社』の著者らが書く『コケットリ論』とは,社会学者ジンメルによるもので,『女性のコケットリの本質は,ヤーとナインとのあいだを自由に揺れ動く戯れにある』(『パラ社』p.165)と言うことです.

そして,『恋愛が「誤解」なら,結婚は「覚醒」というものであろう』(『パラ社』p.168)と結論付け,『恋愛結婚のこのような意図せざる結果』(『パラ社』p.168)が,『とりわけ女性において結婚をのぞまない「恋愛非婚」がふえている』(『パラ社』p.168)と考察しています.

『パラ社』の中のこの項は,次の印象的な文章で締めくくられます.

『こうして恋愛はふたたび制度から袂を分かちつつある.至福を約束するかにみえた恋愛と結婚との結びつきが,それじたい逆説的であることをあらわにし,これをのりこえるために,その結びつきをふたたび解くという自己解体のアイロニーをわたしたちはいま,目にしているのである』(『パラ社』p.169).

「恋愛結婚」で結ばれた知人のその後を観察しますと,以上の議論はなかなか説得力があります.ひょっとすると,以上の議論は著者らの実体験も反映されているのかも知れません.

最近のテレビドラマで話題になった『ラブ・アゲイン症候群』(残念ながらテレビを殆ど見ないので,話に聞くだけですが)などは,まさに先に引用した『恋愛はそもそも制度を破り,制度をこえ,制度を否定するものだった』という「恋愛」の本質に沿った行為と言えないこともありません(こういうのって,DPLはあまり好きでは無いけど・・・).

「恋愛結婚のパラドックス」を解消する方法は,そう簡単に見つかるものではありませんね.でも「恋愛」と「結婚」を両立できれば,これ以上の「幸福」は無いと思います.家庭はきっと「ハート庵」のようにパラダイスになるでしょう.

その意味で,DPLは大変「幸福」なのですが,「なぜDPLの愛妻への恋愛感情は持続するのか?」を考えますと,結婚生活のスタートが「DPLの片思い」だったことが関係しているような気がしないでもありません.

しかし,「片思い」の間柄の場合,非常に高い確率で,相手が結婚に同意してくれませんから(愛妻のように天使のような相手でない限り),一般に普及させるのは難しいでしょう.

正しい誤解?

最近,ゼミの時間に学生さんと一緒に『パラドックスの社会学[パワーアップ版]』(森下伸也・君塚大学・宮本孝二著.1998年.新曜社.下の写真)という本を読んでいます.タイトルの通り,社会学の本です.

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一応,経済学者のつもりのDPLは,社会学の本というと敬遠しがちなのですが(実は経営学の本も嫌い.社会学・経営学嫌いの経済学者って多いと思うんだけど・・・.逆もね),社会学にしては,この本は意外に出来がよい本で(失礼!),経済学専攻の人間が読んでもそれなりに面白く,視野が広がりそうな感じ.

学部生が一人で読んでも十分理解可能な書き方がされていますが,色々,ワイワイがやがや議論が出来そうなので,最初の一冊としてゼミ(地域開発論ゼミ.でもこの本自体は地域開発と直接は関係なし)の教科書に採用しました.

ところで,この本の第2章第5節が『家族と愛情のパラドックス』というタイトルなのですね.面白いことが一杯書いてあります.特にDPLの印象に残ったのが『愛のパラドックス』という項です.

そこでは,スタンダールの『恋愛論』から『恋愛とは美しき誤解なり』という言葉を引いて,『恋愛感情をもつためには,相手の魅力を最大限に「誤解」しなくてはいけない』(p.166)と説いています.

そして,さらに,この本では,『恋愛が「誤解」だということは,「誤解」がいつかは解かれるだろうから恋愛も遅かれ早かれ終息するということなのだろうか.現実はほとんどそうなる』(p.167)と断じています.

恐ろしい命題です.この命題に基づいて,後の項で『恋愛結婚のパラドックス』がさらに展開されますが,それについては,またの機会に触れることにします.

それよりも,DPLは,次の一文に注目しました.

『しかし,一生続く「誤解」はどうなのだろう.これがまったく存在しないというわけではあるまい.それをなおも「誤解」(原文では括弧ではなく傍点)とよべるのか.かりにいえるとしたら,それは「正しい誤解」(原文では括弧ではなく傍点)とでもいうべきものだろう』(p.167).

愛妻に「恋愛」中のDPLは,スタンダール流に言えば,いまだ「誤解」中ということなのですかね?どうも,DPLは,このまま「恋愛」状態が続きそうなのですが,そうすると愛妻に対する感情は「正しい誤解」ということになってしまうな・・・.自分では「誤解」じゃなく「正解」という意識なのですが・・・.

それにしても,スタンダールの意見は,最初から「相手を正しく認識した上で恋をする」という可能性を排除してしまっていますね.彼の回りの女性は,「誤解」の色眼鏡を通さないといけないような女性ばかりだったのかな・・・.

「恋愛」が「錯覚に基づく異性に対する愛情」ならば,「錯覚に基づかない異性に対する愛情」は「恋愛」以外の言葉を当てて区別するべきという定義の問題のような気もしますが,結局のところ,「恋愛」感情が一生冷めない人間にとっては,「正しい誤解」か「正解」かは,本質的問題では無いのでしょう.

それでも,DPLの愛妻に対する「恋愛」感情は「大正解!」と確信していますけどね.

老いらくの恋

久しぶりの『読売新聞』の『人生案内』ネタです.と言っても今日ご紹介する相談は1月8日に掲載のもの.丁度1ヶ月経っています.以下,相談の一部を引用しましょう.なお,相談者は,15年前に夫を亡くした70代後半の未亡人です.

『(前略)2年前,同じような境遇の男性と知り合いました.初めは話をするだけでしたが,やがて深い仲に.彼は「残り少ない人生,楽しく暮らさないと老いる一方です.誰にも迷惑をかけなければいい.2人だけの秘密にしましょう」と言います.(中略)子どもが知ったらどう思うでしょうか.また,彼がほかの人と親しげに話していると激しい嫉妬に襲われ自分が嫌になります.でも彼とのことはあきらめられず,次に会うのを楽しみにしている私.こんな恋は不倫ですか.老いらくの恋はいけないことなのでしょうか.恋は元気の源なのでしょうか』(相談文から部分的に引用).

『深い仲』って,一体・・・.さて,今回の回答者は評論家の樋口恵子氏.回答の一部を引用しましょう.

『(前略)双方とも独身ですから不倫ではありません.堂々と胸を張ってよいのですが,同じお墓に入ることを前提とした亡き配偶者がいること,子どもたちがいること.このへんが老いらくの恋のつらいところです.物言わぬ亡き夫には目をつぶってもらって,問題は子どもたち.私の知る限り子どもは親,特に母親の恋愛には不寛容なものです./老いらくの恋は秘すれば花,と心得ましょう.お相手には盛大にやきもちでも何でもやいてあげてください.そしてこの恋を一人ひつぎの中まで周囲に秘していく.すてきな女の一生と存じます』(回答文から部分的に引用.スラッシュは原文では改行).

樋口氏は「老いらくの恋」に「肯定的」ですが,それを公にするのは「否定的」です.ここがDPLと考えが違うところです(前者については一般論としてはDPLは賛成).「不倫」でも無いのに何故『ひつぎの中まで周囲に秘していく』必要があるのか?「子供のため」とか言いますが,もし後で子供が偶然事実を知った場合,多分「隠し事をされていた」「自分の母親がオンナとしてオトコとコソコソ会っていた」ということの方が「不快感」は大きいと思うんだけどな.

別に「再婚」したって構わないでしょう.ただ,遺産相続や介護の問題が絡んできますので,子供がすんなり賛成してくれるかどうかはわかりません.それにしたって,別に堂々とお付き合いしたらよろしいとDPLは思います.それに『2人だけの秘密にしましょう』なんて男の勝手な言い分のような気もします.何かこの男,胡散臭いな・・・(樋口先生,胡散臭い男の身勝手を助長するようなことを言っては駄目ですよ!).

「意識」に類するもの(「魂」?)が死後も残存すると仮定しますと(DPL自身は,死ねば「意識の類も完全に消滅する」と思っています),「なぜ,自分が目をつぶらなければならないのか!「物言わぬ」と思って調子に乗るな!」「付き合うなら付き合うで.きちんとケジメをつけていただきたい」と思う『物言わぬ亡き夫』も少なくないのではないかな?とも思います.

DPLは「一方の配偶者の死後も婚姻関係は続いている」と考えますので(「意識の類も完全に消滅する」という考えと矛盾しているように思われるかも知れませんが,これは残された方の人間の心の中の問題),「自分の心の中できちんとケジメをつけていない」今回のようなケースは「不倫」と断じます.従いまして,「再婚」しないで付き合って行くにしても,直ちに,両方の家族にそれぞれの相手を紹介するのと同時に,二人でそれぞれの亡き配偶者の霊前に報告する「儀式」でもして,心の整理をするべきであると思います(別に「人の勝手」ですけどね).

さて,以上は一般論として語りましたが,DPL個人の問題として考えますとこんなことは言えません.正直申しまして,DPLが先立つことになっても,愛妻が「老いらくの恋」に落ちるのは,どんな形でも嫌!(「死んだら自由にしてあげなさいよ」という声が聞こえてきそうだけど・・・).

「愛妻家」人口の行方

昨日の記事に対して,「いかにしてその最高の相手に巡り会うか」「恋愛と結婚相手は同じか?」というコメント(質問)をいただきました.

DPLの場合,独身時代の愛妻に対する「恋心」をいだいた瞬間に「この人と結婚しなければ」と思いましたので,後者の質問に対しては,「Yes!」であります(しかし,一般論としてはどうでしょう?).ところが,前者の質問に答えるのは大変難しい.DPLの場合,愛妻との出会いにはまったく「作為」は無いからです.「出会うべくして出会う」としか言いようが無いのですが,それでは答えにはなりませんね.しばし,時間稼ぎのため,今日はコメントには無関係な数字のお遊びを少々いたしましょう.

「愛妻家」も元を辿れば,独身男子でした.「非愛妻家」(「恐妻家」「暴力亭主」「ごく普通の親爺」etc.)だって新婚時代は「愛妻家」だったかも知れません(ここでは「愛妻家」の定義はとりあえず不問に付しましょう).この様に,男子の属性は日々変化しています.

そこで,一定の「遷移確率」(例えば,独身男が結婚して「愛妻家」になる確率,「愛妻家」が「非愛妻家」に移行する確率,etc.)が与えられた場合に,「愛妻家」の数がどう変化するのかをシミュレーションしてみましょう.

思い切って,成人男子を「独身男」「愛妻家」「非愛妻家」の3つのカテゴリーに強引に分けてしまいましょう.そして,一定期間(1年でも5年でも良いのですが,ここでは取りあえず1年としましょう)の後に,カテゴリー間を移動する確率を以下のように設定しましょう(普通はマトリックスの形で整理し,そのマトリックスを「遷移確率行列」と仰々しい名前で呼びます).

「独身男」→「独身男」(要するに独身のまま):確率0.5
「独身男」→「愛妻家」(要するに結婚):確率0.45
「独身男」→「非愛妻家」(同):確率0.05
「愛妻家」→「独身男」(要するに離婚):確率0.1
「愛妻家」→「愛妻家」(要するに現状維持):確率0.3
「愛妻家」→「非愛妻家」(要するに関係悪化):確率0.6
「非愛妻家」→「独身男」(要するに離婚):確率0.3
「非愛妻家」→「愛妻家」(要するに関係改善):確率0.05
「非愛妻家」→「非愛妻家」(要するに現状維持):確率0.65

「独身男」から「愛妻家」への「遷移確率」が比較的高いのは,誰でも最初は「ラブラブ」で「愛妻家」になる確率が高いということを反映させています.しかし,新婚状態は一般には長続きすることは無く,それを「愛妻家」から「非愛妻家」への比較的高い「遷移確率」の値に対応させています.

さて,この「遷移確率」の値が「未来永劫変わらない」と仮定してしまいましょう.さらに,今対象にしている男子の集団は「加齢しない(或いは加齢しても婚姻関係には影響しない)」と仮定してしまいましょう(非現実的!).

さて,ここで1000人の「独身男」がいるとします.さらに「愛妻家」「非愛妻家」はそれぞれ0とします.この状態から出発します.1年後にはどうなるでしょうか?これは,各カテゴリーへの「遷移確率」の値を使えば,簡単に計算出来ます.即ち,「独身男」に留まる人が1000人×0.5=500人,結婚して「愛妻家」になる人が1000人×0.45=450人,「非愛妻家」になる人が1000人×0.05=50人になります.

2年目以降についても同じ計算の繰り返しで,計算出来ます.以下がその結果です.7~10年後に分布はほぼ安定します(所謂「定常分布」).11年目以降は,10年後とまったく同じ分布が続きますので,ここでは省略しています.

aisaika.jpg

面白いのは,スタート時点の分布はどうでも良いということです.どのような分布から出発しても最終的に落ち着く分布は同じになります.例えば,世の中に「愛妻家」しかいない状況から出発しましょう.すると10年後に分布がどうなるかは以下の通りです.

aisaika2.jpg

要するに当初の分布は,将来どのような分布に落ち着くかには無関係であり,それを根本から規定するのは「遷移確率」なのです.世の中の「愛妻家」の割合を増やそうと思う場合は,「遷移確率を変えるような取り組み」が必要ということですね.これは世の中の人々の意識構造を根本から変えてしまうような話になるかも知れません.一時的に「愛妻家」の数を増やしても元の木阿弥なのです.

蛇足ですが,線型数学を囓った方であれば,この最終的に落ち着く分布は,「遷移確率行列」の最大固有値(=1)に対応する固有ベクトルになることがわかるでしょう(ここでは数学的な説明はしませんけどね).

理想の「愛妻家」

さて,昨日のブログ記事に対しまして,「妻から見た理想の愛妻家,夫が考える愛妻家(一般論とDPLさんとの違い)の違い」について意見が聞きたいというコメントがありました.

「妻から見た理想の愛妻家」は,当然「良妻」「悪妻」など妻の「種類」に拠って異なるでしょう.しかし,「平均的妻」(管見では「悪妻」の方が卓越しているような気が・・・.しかし,何をもって「悪妻」と呼ぶかは議論のあるところ)の理想は,やはり「自分にとって都合の良い夫」なのでしょう.

一方,「平均的夫が考える愛妻家」は,「平均的妻」の要望に対応して「妻の喜ぶことをする夫」ということになるのでしょう.この場合の「妻の喜ぶこと」は「耳元でのささやき」であったり,「プレゼント」であったり「積極的家事参加」であったりします.勿論,このブログを継続して読んでいただいている方はおわかりのように,これはDPLの考える「愛妻家」とは違います.

DPLの考える「愛妻家」は,「『世界で最も大切な人は自分の妻だ!』と『何の迷いもなく』断言出来る夫」(「何の迷いもなく」に力点があります)或いは「『世界で最も大切な人は自分の妻だ!』という意識を誰に強制されたわけでも無く『自然に』持ち続けられる夫」に尽きます.勿論,これは「平均的夫が考える愛妻家」と矛盾はしません.「大切だから」こそ「妻の喜ぶこと」に尽力する人もいるでしょう(少なくない夫は「恐怖心」から「妻の喜ぶこと」をしているようにも見えますが・・・).

このように「『世界で最も大切な人は自分の妻だ!』と『何の迷いもなく』断言出来る夫」という意味でDPLは「愛妻家」を自称しています.実際,わが愛妻も「あなたの一途なところは尊敬に値するわ」と言っています(この一言がDPLに対する愛妻の「評価」を表していると思います).

このような夫に対応する妻(これをDPLは「良妻」と呼びたいのですが)の理想の「愛妻家」像は自然に導き出すことが出来るでしょう.それは即ち,「自分のことを『世界で一番大切』とずっと思い続けてくれる夫」ということになります.夫が色々サービスをしてくれて,嬉しくない妻はいないでしょうが,「『自分を思い続けてくれる』ならば別にサービスなんて必要ない」と思っている妻もいるのです(DPLの愛妻ですね!).だからと言って,「甘える」のもほどほどにしないといけないのは勿論ですが・・・.

「愛妻家」の乗数理論

旧聞に属する話になってしまいましたが,わが国の財務大臣が,大学一年生でも知っている「乗数効果」がわからなくて今月26日の参院予算委員会で大恥をかきました(質問者の方も用語法が混乱していましたが・・・).医学で言えば,家庭の医学(大学一年生程度の経済学)ほどの知識も無いド素人に手術(国の財政運営)を任せるようなもので,背筋が寒くなる思いがいたしました.

この件につきましては,ネット上のあちこちで話題になり,DPLが愛読している池田信夫氏(経済評論家.影響力の大きいブロガーの一人)のブログ(http://ikedanobuo.livedoor.biz/)などでも取り上げられています.ユーチューブに画像もアップされています.DPLが改めて書くまでもないでしょう.しかし,この予算委員会での問答,経済学の授業中に「間違い探し」問題として出すと良いかも知れませんね.

さて,「乗数」の話が出たところで,DPLは「愛妻家」の乗数理論なるものを思いつきました(大した話では無いよ).少しお付き合いください.

ここで,「愛妻家」を2種類に大きく分けてしまいましょう.1つは,「真の愛妻家」或いは「孤高の愛妻家」と言っても良い存在で,自らの「信念」に基づき「愛妻家」として行動する人達です.彼らを「愛妻家A」としましょう.もう1つは,「何となく世間で愛妻家が流行しているから愛妻家になっちゃおうかな」と思って「愛妻家」を自称する人達です(某愛妻家団体のイベントに乗せられて,皆で一緒に叫んだり,ハグしたりする人達).彼らを「愛妻家B」としましょう.

「愛妻家」の総数をT,「愛妻家A」の総数をA,「愛妻家B」の総数をBと置きますと,以下の式が成り立ちます(愛妻家は2通りしか無いと想定したのですから当たり前の式です).

T=A+B (1)式

ところで,「愛妻家B」の数は,世間の「愛妻家」総数の増加関数であると考えられます.「皆でやれば怖くない」「皆でやれば恥ずかしくない」式の発想が主体の人達であるからです.ここでは,話を簡単にするために以下のような極めて単純な式で表現できるとしてしまいましょう.

B=bT (但し,bは定数であり,0<b<1) (2)式

この式の定数bを「限界感化性向」と呼ぶことにしましょう.これらの(1)式と(2)式を連立させて,Tについて解きますと,以下の式が成り立ちます.

T={1/(1-b)}A (3)式

要するに,世間の「愛妻家」総数を根本から規定しているのは,「真の愛妻家」である「愛妻家A」の数なのですね.そして,注意していただきたいのは,(2)式で仮定しましたように,「限界感化係数」は,0<b<1なので,1/(1-b)>1であると言うことです.例えば,b=0.5であれば,1/(1-b)=2になります.なお,1/(1-b)のことを「愛妻家乗数」と呼ぶことにしましょう.

(3)式は,変化量に直せば,

ΔT={1/(1-b)}ΔA (4)式

となります.ここでΔTは「愛妻家」総数の変化量,ΔAは「愛妻家A」総数の変化量を示しています.要するに「愛妻家乗数」とは,「真の愛妻家」が1人増えると(ΔA=1)社会全体で「愛妻家」が1/(1-b)人増えるということを示しています.そして,それは1を超えると考えられると言うことですね.

ところで,「愛妻家乗数」が1を超える(1/(1-b)>1)ということは,次のように無限等比数列の和を使っても説明できます(高校数学を思い出してね!).

まず,「真の愛妻家」がΔA人だけ増加するとしましょう(理由はここでは問いません).そうしますと,「愛妻家」の総数も,まずΔA人だけ増加します.なお,「愛妻家」の総数がΔA人だけ増えますと,それに感化される人達が出てきます.それがbΔA人です.そして,このbΔA人分だけ更に「愛妻家」の総数は増加します.今度は,bΔA人分だけ増加した「愛妻家」総数に反応する人が(b^2)ΔA人出現します.以下,このようなプロセスが無限に続くとしますと,最終的な「愛妻家」の総数の増加分(ΔT)は,

ΔT=ΔA+bΔA+(b^2)ΔA+(b^3)ΔA+・・・
=(1+b+b^2+b^3+・・・)ΔA (5)式

となります.この(5)式の()の中は,初項が1,公比がbの無限等比数列の和の形になっています.そこで,「無限等比数列の和」を求める公式である1/(1-公比)が使えます.そうしますと,(5)式は書き換えられて,

ΔT={1/(1-b)}ΔA (6)式

が得られます.これは連立方程式を解いて求めた(4)式とまったく同じです.

ところで,(3)式に拠れば,「愛妻家乗数」の大きさと「真の愛妻家」の数が結局は,社会全体の「愛妻家」の総数を決めているということですが,「愛妻家乗数」の大きさを規定しているのは「限界感化係数」です.この「限界感化係数」は短期的には定数であると考えられますが,「日本愛妻家協会」のような団体が大々的なイベントを仕組めば,上昇させることが出来るのでしょうね,きっと(今日は「愛妻の日」らしいので,何かやっていますよ).

きちんとした国際比較をしたわけではありませんので,単なる憶測ですが,欧米諸国は「愛妻家乗数」の値はそれほど高くないけれども,「真の愛妻家」の数は比較的多い.一方,わが国では「感化」されやすい人が多いので,「愛妻家乗数」の値は大きいけれども,もともとの種になる「真の愛妻家」の数は少ないとDPLは思っています.「愛妻家」の総数では欧米諸国にわが国は負けていると思いますが,その中味も異なると言うことですね.

国全体で見ますと,わが国は「愛妻家後進国」だと思いますが,DPL個人は,「愛妻を愛する」ことにかけて「世界一」を目指しています.

恋愛結婚の必勝法?

さて,昨日の話の続きです.

昨日の記事のコメントに,「付き合った期間と結婚生活の継続期間(離婚の確率)」を考慮するとどうなる?というものがありましたので,少し考えてみました.「付き合った期間」を入れると少し面倒なので,「離婚確率」だけ取りあえず入れてみることにしましょう.

ここで,説明の便宜上,ある人物を想定し(仮に,亀さんとでもしましょう),彼は一生の間に4人の恋人を持つ可能性があるとしましょう(多い?少ない?).亀さんは恋愛結婚希望ですので,恋人の中から結婚相手を選択するとします.但し,s人目(s<4)で亀さんが結婚を決めてしまえば,残り4-s人に出会うことは無いとします(例えば,3人目で決めるならば,4人目の人とは出会わない).復縁も無しとしましょう.なお,出会いの順序は4!=24通りありますが,亀さんがどの順序に直面するかは偶然であり,直面する確率はそれぞれ等しいとします(出会いの順序は勿論,亀さんは事前には知りません).

恋人をそれぞれ,松さん,竹さん,梅さん,さんとしましょう.そして,亀さんにとっての相性の良さで仮に序列をつけますと次の通りになるとしましょう.

松さん>竹さん>梅さん>さん

この場合に,亀さんにとって,ベストなのは「松さんとの結婚」です.但し,事前には,「松さんが亀さんにとってベスト」ということは亀さんにはわかりません.多分一生わからないでしょう(知っているのは縁結びの神様だけ).しかし,相性の善し悪しを「相対的に」判断する能力が亀さんには備わっているとしましょう(例えば,松さんと梅さんを並べると,松さんの方が相性が良いと判断できる).

ところで,亀さんとの相性から以下のようにそれぞれ「添い遂げ」確率(=1-離婚確率)が決まっているとしましょう(しかし,亀さんにはこの数字はわからない).

松さん:0.9
竹さん:0.7
梅さん:0.5
さん:0.3

この「添い遂げ」確率は相性度が高まれば高まると仮定しています.

さて,ここで亀さんの戦略としては,例えば次の3つが考えられるでしょう.

戦略1:最初の恋人と結婚する(同級生結婚ってこんな感じ?)
戦略2:最初の恋人はとりあえず見送り,二番目以降の恋人の中で,最初の恋人より相性が良い人が見つかった段階で結婚する.
戦略3:最初の二人の恋人はとりあえず見送り,三番目以降の恋人の中で,最初の二人の恋人より相性が良い人が見つかった段階で結婚する.

さて,それぞれの戦略をとった場合に,ベストな相手(亀さん自身は知らないけど,それは松さん)と結婚出来る確率は,それぞれ以下の通りです(計算の方法は昨日の記事を見てね).

戦略1:0.25
戦略2:0.458
戦略3:0.417

ところで,「相性が最も良い相手と結婚する」だけが基準になるわけではありません.「平均「添い遂げ」確率を最大化する」ことも十分目標になるでしょう.そこで,それぞれの戦略に対応する平均「添い遂げ」確率を計算してみますと,以下のようになります(勿論,この数字は最初の「添い遂げ」確率の数字の設定の仕方で変わってきます).

戦略1:0.6
戦略2:0.6
戦略3:0.433

戦略1が意外に高く,戦略3が意外に低いのは,「一生独身のまま」でいる場合の「添い遂げ」確率を0と置いて計算しているためです.戦略1の場合は「一生独身のまま」のケースは0ですが,戦略3では独身で終わる確率が0.5(!)となります.ちなみに,戦略2の場合は0.25です.

なお,戦略1と戦略2の平均「添い遂げ」確率がどちらも0.6ですが,同じ値になる必然性はありません.例えば,松さんとの相性が本当に良く,離婚確率がゼロであるとして,「添い遂げ」確率を1に置き換えれば,戦略1の平均「添い遂げ」確率は0.625,戦略2のそれは0.646となり,戦略2の方が有利になります.

以上は,恣意的な数値例ですので一般化は出来ません.しかし,「なかなか結婚に踏ん切れない」場合に対応する戦略3のようなケースを採用しますと「婚期を逃しやすい」ことは言えるでしょう(当たり前の結果と言えば結果です).但し,戦略3で「結婚出来た場合」の平均「添い遂げ」確率は0.867と極めて高い確率になります(戦略2の場合は,0.8).戦略3は,高い確率で「一生独身」ですが,一旦結婚出来れば高い確率で「添い遂げる」ことが可能になります.しかし,リスキーですね.少子化問題が深刻な現状ではお勧め出来ない戦略です.

ここでは「4人の恋人を一生の間に持つ可能性がある」という前提で最適戦略を求めましたが,実際問題として,一生の間に付き合う可能性のある人の数が「4人」かどうかなんてわかりません.本当にこれがわかれば苦労しません(見合いなら,例えば「100回まで」と事前に決めることが出来ますけどね.その場合は昨日も書きましたように,最初の37人までは見送れば良いのです).結局,今日やった議論って,机上の空論ですね.

ところで,愛妻を射止めたDPLの戦略はどのようなものだったのでしょうか?それは・・・・・・秘密です.

お見合いの算術

昨日,用務先に向かう途中で,少し空白の時間ができたので書店に立ち寄りました.DPLは,書店をぶらぶらすると,ついつい本を何冊も買い込んでしまう癖があり,昨日もその癖が顔を出しそうになりました.しかし,これから色々寄らなければならないところがあり,荷物になるので,ぐっと我慢して軽い本3冊に留めました.その中の一冊が,高橋洋一・竹内薫『鳩山由紀夫の政治を科学する:帰ってきたバカヤロー経済学』(インフォレスト,2009年)です(下の写真).

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サブタイトルからおわかりのように,竹内薫『バカヤロー経済学』(晋遊舎,2009年)の続編です(前作は,実質的には高橋氏との共著なのですが,皆さんご承知の高橋氏に関する事件のせいで,形式上竹内氏の単著となりました).

この本は,鳩山由紀夫首相がもともとオペレーションズ・リサーチ(長いので普通はORと略します.経営科学や管理科学と呼ばれる分野とほぼ同じです.経営管理や戦略立案に数理的手法でアプローチする文理融合分野ですね)の研究者で,スタンフォード大学のPh.Dであることにちなんで,鳩山氏の政治そのもののをORで読み解くという趣旨の対談本です(高橋氏が先生役で竹内氏が生徒役ですので,対等な立場での対談ではありませんが).

さて,前置きが長くなりましたが,本日のブログの趣旨は,高橋・竹内本の書評や紹介には実は無くて,この本の中のコラムで扱われていた「お見合い問題」をご紹介することにあります.高橋・竹内本の中では,鳩山氏の同志社大学における講演録『生活の中における情報と意思決定』(『文化情報学』第1号に掲載.なぜか高橋・竹内本の中では雑誌の英文名のみ紹介されていますが,和文誌)の中のトピックスの一つとして紹介されています.そう言えば,鳩山氏は,同志社大学文化情報学部の客員教授だったのですね.ちなみに『文化情報学』は同志社大学文化情報学部の紀要のであり,『同志社大学学術リポジトリ』http://elib.doshisha.ac.jp/japanese/kiyo.htmlからダウンロード出来ます.

さて,「お見合い問題」ですが,勿論,これはORの上の有名な問題で(知っている人も多いでしょう),鳩山氏のオリジナルではありません.概略次のようなものです.

問題:お見合い相手の候補が何人かいるとして,あなたはそれらの候補者と一定の順序に従って順番にお見合いしていくものし,決める権利はあなたにあり,結婚相手を決めた段階でお見合いは終了する(もう別の候補とは会わない)ものとする.なお,保留して次の候補に会うことや,一度見送った相手に決めること(復活折衝)は出来ないものとする.この場合,あなたは,どのような戦略をとれば,良い結婚相手を射止めることができるか?

さて,この問題の難しいところは,すべての候補者と会った上で選択するということが出来ないことです(これが出来れば話は簡単).勿論,最後の候補者の一人前まですべて見送ることで,すべての候補者に会うことは出来ますが,最後の候補者が所謂「カス」だった場合,目も当てられません.そうなると「見送り三振」です.いずれにせよ,最後の候補者まで行ってしまうことは,リスクが大きく,適当なところで決断する必要があります.

現実のお見合いは,状況としてはもう少し複雑ですが,しかし,「次はもっと良い相手が現れるかも知れない」と思ってなかなか決められないジレンマ的状況(実は恋愛だって同じかも)ということの本質はこの問題の中に凝縮されているように思われます.ちなみに,DPLも愛妻との運命的出会いの前に,何回かお見合い経験がありますが(愛妻とは見合いじゃないよ),「踏ん切り」のタイミングがなかなか難しいと感じたものです(たいていは向こうから断れましたので,取り越し苦労でしたが…).

さて,ここでお見合い相手が3人(Aさん,Bさん,Cさん)のケースを考えましょう(高橋・竹内本の事例でも3人.なお,以下の説明は,DPLが少しだけアレンジしましたが,基本は鳩山講演録や高橋・竹内本と同じです.わかりやすくなっているかは不明).さて,あなたの好みは,実際には次の順序になっているとしましょう(しかし,順序も顔ぶれもあなたには事前にはわからない状態でお見合いします).

Aさん>Bさん>Cさん

この3人とのお見合いの順序は,以下のように3×2×1=6通りあります.

順序1:ABC
順序2:ACB
順序3:BAC
順序4:BCA
順序5:CAB
順序6:CBA

戦略は色々考えることができますが,例えば次のような戦略ですね.

戦略1:一人目で決めてしまう.
戦略2:一人目は取りあえず見送って,二人目が一人目より良ければ,その人に決めてしまう.さもなければ,三人目に進む.

あなたにとっては,「一番好ましい人物」(要するにAさん.但し,Aさんが「一番好ましい人物」かどうかは,「順序4の場合に戦略2をとる」場合にしかわかりません)と結婚できればベストです.

戦略1で,あなたが選択した人物が「一番好ましい人物」である確率は,6通りあるお見合い順序のうち,順序1もしくは順序2になっている場合の2通りですから,2通り/6通り=1/3ですね.

一方,戦略2で,あなたが選択した人物が「一番好ましい人物」である確率は,6通りあるお見合い順序のうち,順序3,順序4,順序5になっている場合の3通りですから,3通り/6通り=1/2ですね.

このように,候補が3人いる場合は,戦略1よりも戦略2の方が,良い結婚が出来る可能性が高いと言えましょう.さて,候補者の数が多数になってきますとどうなるのでしょうか?ここで,「最初のs-1人までは無条件に見送って,s番目以降に最初のs-1人よりも良い人が現れればその人に決める」と,先ほどの戦略2を一般化しましょう.

前掲の鳩山講演録には,1000人の相手とお見合いするのケースの計算結果が紹介されています.それに拠りますと,『1,000人の人とお見合いをする人はいないと思いますが、1,000の人の場合,最初の368人は付き合いを断って369番目から,368人の人と比べて一番いいと思う人が現れたらプロポーズする.それが正解で1,000人の中で一番の女性と結婚できる確率は3割6分8厘になる.相当高い確率で自分が一番期待している人と結婚できる話になります』(鳩山『前掲講演録』p.40)ということだそうです(ちなみに100人の候補者ならばs=38で,成功確率は0.371).

要するに,『37%のデータ収集で37%の成功』(高橋・竹内『前掲書』p.30)を意味しているわけです.これはなかなか奥深い数字です.現実問題としては,相手にも「選ぶ権利」はあるわけで,この計算のように単純には行かないと思います.

しかし,これは恋愛の場合にも使えますね.例えば一生の間に,1000人の相手と付き合う可能性があるとしまして(別に1000に拘る必要はありません.勿論,候補者の数が異なればsの値も異なり,成功確率も変わりますので,数字を修正する必要はありますが),過去の368人の恋人よりも,良い恋人が現れれば,その恋人と結婚を決めてしまう.そうすると,36.8%の確率で「正解」ということですね.

一寸時間が無いので今日はこれくらいにしますが,もう少しこの問題の含意を考えてみるかな.

「夫婦愛」は寒さに弱いのか?

先ほど,『YOMIURI ONLINE』を眺めていましたら,『「極寒星空ハグ」参加申し込みゼロでした』という見出しの記事が!これは一大事です.早速引用しましょう(例によってスラッシュは原文では改行です).

『群馬県嬬恋村の有志でつくる村愛妻家聖地委員会は22日,同村田代の「愛妻の丘」で31日に予定していたイベント「愛妻の丘でハグしよう~極寒星空ハグ~」の中止を決めた./20日の締め切りを過ぎても参加申し込みがなかったためで,事務局の村観光商工課は「企画に問題がなかったか検証したい」と残念がっている./イベントは,1月31日を「I(あい)さい」と見立て,ハグ(抱擁)にちなんで午後8時9分に抱擁するなどして,夫婦やカップルの愛情を確かめてもらう内容.事前の問い合わせはいくつかあり,当日参加者による開催も検討したが,周辺道路の除雪など,大がかりな準備が必要なこともあって,早めの中止を決めた./一方,イベント中に行う予定だった,夫が妻への手紙を投函して後日郵送される「愛妻ポスト」は,春以降に「愛妻の丘」に常設する方針』
(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100123-OYT1T00094.htm).

一方,『産経ニュース』では,申込みが少なかった原因にも言及しています.これも,ついでに引用しましょう.

『「つまごい」と読む村名にちなみ「愛妻」をテーマに地域おこしに取り組んでいる群馬県嬬恋村の冬の新イベント「愛妻の丘でハグしよう 極寒星空ハグ」が中止に追い込まれた.理由は,参加カップルの申し込みがゼロだったため.高原地帯で冬は気温が氷点下に下がるため,村観光商工課は「ハグするためだけに寒い所には来ないのかも」としょげている./「愛妻の日」の31日にハグにちなんで午後8時9分に抱擁する趣向で,村は「普段見られない景色や星空に囲まれてハグできる」とアピールしたが,問い合わせが約10件あっただけ./村は平成18年から毎年9月,普段言いにくい妻への気持ちを思い切り叫ぶ「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ」(通称・キャベチュー)を開催,人気を集めている.村は「ハグが恥ずかしかったわけではないはず.これからも“愛妻の聖地”としてPRしていきたい」とめげない』
(http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100123/trd1001230805001-n1.htm).

「愛妻の丘でハグしよう~極寒星空ハグ~」は,このブログでDPLが執拗に批判しております「日本愛妻家協会」(以下「協会」)が絡んだイベントですね(DPLの「協会」批判については,昨年12月17~20日付けの記事を読んでね!左下のカレンダーから選択出来るよ!).

DPL的には,「協会」の活動は「批判」の余地ありと今でも思いますが(理由は,先ほど紹介のブログ記事を読んでね),嬬恋村のような山間部の村が「村おこし」のために「協会」とタイアップすることについては,「批判」する気はDPLはまったくありません.むしろ,今回の件は,村にとっては「気の毒」だと純粋に思います.兎に角,知恵を絞って村をアピールできる材料は何でも「資源」として活用することが,過疎の山村などでは求められているからです.結果が出せれば,「何でもあり」でも構わないでしょう(勿論,時には「センス」も大事にしないと地域イメージを毀損し,長期的には「損失」になると思いますが).

『産経ニュース』の方で紹介されている同村観光商工課の方の談話の中の推測が正しいとするならば,「「夫婦愛」は物理的寒さに打ち勝つことが出来なかった」ということになります.DPLは,今回の現象(参加者が極端に少ないという状況)については,次のような2つの解釈が出来るのではないかと思っています.

解釈1:「協会」が企画するような「「お祭り騒ぎ的イベント」に乗せられてしまう夫婦」(仮に「夫婦A」としましょう)の「愛」から発生する程度の「精神的熱気」では,「物理的寒さ」に耐えられない.従って,「夫婦A」は参加しない.

解釈2:「協会」が企画するような「お祭り騒ぎ的イベント」とはまったく独立に,「独自の高い理想の下で「夫婦愛」を貫く夫婦」(仮に「夫婦B」としましょう)の「愛」から発生する「精神的熱気」は,「物理的寒さ」に十分打ち勝つことができる.しかし,「夫婦B」はそもそも「協会」が関与したイベントに関心を持たない(或いはDPLと愛妻のように「嫌悪」している)ので,「夫婦B」は参加しない.

要するに,「夫婦A」も「夫婦B」もそれぞれ理由はまったく異なりますが,このようなイベントには参加しないのは必然と言っても良いのです.世の中の夫婦がこの2類型に分けられると強引に仮定すれば,「「愛妻の丘でハグ」する目的のためだけに真冬に嬬恋村を訪れる夫婦は皆無である(皆無に近い)」と結論付けられます.至極簡単な分析ですが,DPL的にはこれが真実に近いのでは無いかと思っています(新聞情報だけからの分析です.もう少し複雑な背景があるのかも知れません).
プロフィールなど

Author:プリティラヴ博士(DPL)
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いまも愛妻に心のトキメキを覚えるハート庵主人・プリティラヴ博士(DPL)が,皆さまに「愛」の御福分けをいたします.愛妻家および愛妻家ファン必読!過去記事の一覧はこっちだよ.
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DPLのプロフィール:愛妻家,甘党男子,散歩家,鉄道青年,活字中毒者,長髪ピンク野郎,英国かぶれ,農学博士,自称経済学者,大学教授(もと経済学部長),馬術部長(残念ながら乗馬経験はありませんが,象にはインドで乗りました)など.主に大阪周辺をチョロチョロしています.

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