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1958年の道路事情

中村隆英氏の『昭和史』を読んでいましたら、阿川弘之氏の『贋車掌の記』から以下のような文章が引用されていました(以下、孫引きです。なお、該当箇所は中村『昭和史(下)』のKindle版の位置No.2424)。

「われらが車の平均時速は二十二、三キロ、仙台で一泊、花巻で一泊、しかも星をいただいて発ち、星をいただいて宿る強行軍になった。東京から宇都宮までは、まあまあ道がよろしい。黒磯を過ぎて栃木県と福島県の県境に近くなると、本式の悪路があらわれてきた。陸の玄界灘というのは、正に実感である。映画の特殊撮影で、荒涼たる砂漠の大山脈のミニチュアに使ったらよさそうな、泥色のすさまじい起伏が、波濤のように向こうから向こうから迫り来って、自動車は時化にもまれる機帆船のように上がったり下がったり左右に傾いたりはげしく動揺する。……三日目、啄木の歌碑を見学して沼宮内、一戸と過ぎ、金田一村に入った時、道は深くえぐれたW字型になった。トラックは通って行くが、私たちの車がこのまま走っては、腹の下の機械類を傷つける恐れがある。そこでスケさんがハンドルを握り、あと三人は下りて、靴と、車の工具とでヨイトマケの地ならしをやって、どうやら無事通過した。……日本で自動車の遠出をするにはジープが最適というのが、かねて私の説であったが、そのジープすら難渋しているのを拝見すると、日本の旅には水陸両用戦車が要ると言いたくなる」(「東北国道二千キロ」『贋車掌の記』所収)。(孫引きここまで)

阿川氏が1958年10月下旬に東北一周自動車旅行をした時の模様のようです。

今でも「酷道」と呼ばれる悪路が残っていることは残っていますが、上の記述は幹線道路の話ですから驚きです(この頃は一級国道でも未舗装が珍しくありませんでした。鉄道が陸上輸送の圧倒的な主役であった時代です)。

1958年と言えば、愛妻は勿論のことワタクシが生まれる遙か前で、大変な昔に感じるのですが、前回の東京五輪を6年後に控えている頃であることを思いますと(しかも、この頃は東京五輪開催が決定されています)、感慨深いものがあります。
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いまも愛妻に心のトキメキを覚えるハート庵主人・プリティラヴ博士(DPL)が,皆さまに「愛」の御福分けをいたします.愛妻家および愛妻家ファン必読!過去記事の一覧はこっちだよ.
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