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昨日の橋台の鉄橋は松本清張も歩いたかも

とりあえず過去記事を再掲します。

---ここから過去記事再掲---

添田線(初代)について、松本清張は『半生の記』の中で以下のように書いていました。

「私は、社から自分の家までは鉄道線路を歩くのが直線コースなので、いつもそこを往復していたが、夜は危険なので電車で帰る。降りるところは三郎丸という停留所だが、そこから家までは一キロ半ぐらいあった。その横の道が米軍補給廠の裏側に当るわけだが、家も少く、九時ごろともなれば、夏でも戸を早く入れて灯が見えない。田圃の向こうには農家が点在していた。」(Kindle版位置No.2065/2241。下線は引用者)

昭和25年頃の話で、「社」というのは朝日新聞西部本社。「電車」は西日本鉄道北方線(1980年廃線)。

現在は市街地になっていますので、「田圃の向こうには農家が点在していた」という風景は想像することも難しい状況ですが、唯一、「米軍補給廠」(戦時中は陸軍小倉兵器補給廠)がその名残(と言っても市街地にぽっかり空いた空間ですが)を留めています。

「米軍補給廠」は、米軍撤退後は、陸上自衛隊小倉駐屯地城野分屯地になりましたが、それも2008年に閉鎖されて、現在は広大な空き地になっています。

城野駅から引き込み線が構内に入っていましたので、その痕跡を求めて、何年か前に訪れましたが、綺麗さっぱり無くなっていました。

下の写真は、陸上自衛隊小倉駐屯地城野分屯地の跡地。2013年春の撮影です。

2013年春_convert_20160226235157

とにかく、松本清張が生活していた頃の面影は殆ど残っていないと言ってよいでしょう。

ところで、昨日までの話に出てくる添田線(二代目。ただし初代の区間にも含まれますが)とは違うので、読者に要らぬ混乱を与えたかも知れません。

さて、今日は愛妻と話し込んで更新のタイミングを逃さないよう気を付けましたので、何とかセーフです。


---再掲ここまで---

この過去記事に出てくる「添田線(初代)」が昨日の記事の橋台を使用していた路線です(小倉鉄道の後身)。鉄橋が健在の頃は松本清張も歩いて渡ったかも知れません(と言うか、朝日新聞西部本社と当時の松本清張の自宅の位置関係を考えれば、当然渡っていたはず)。

ところで、上の写真の陸上自衛隊小倉駐屯地城野分屯地の跡地はすっかり再開発されてしましました。
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Author:プリティラヴ博士(DPL)
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いまも愛妻に心のトキメキを覚えるハート庵主人・プリティラヴ博士(DPL)が,皆さまに「愛」の御福分けをいたします.愛妻家および愛妻家ファン必読!過去記事の一覧はこっちだよ.
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DPLのプロフィール:愛妻家,甘党男子,散歩家,鉄道青年,活字中毒者,長髪ピンク野郎,英国かぶれ,農学博士,自称経済学者,大学教授(もと経済学部長),馬術部長(残念ながら乗馬経験はありませんが,象にはインドで乗りました)など.主に大阪周辺をチョロチョロしています.

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