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哲学は人生に必要だ
これは前にも書いた記憶があるのですが、ボクが学生時代にサルトルとかデカルトとか読んでいたのは単なる格好付け、つまり「難しい(難しそうな)本を読んでいれば女性にモテるだろう」という浅ましい根性からでした。
もちろん、そんなことをしてもいっこうにモテなかったのですが・・・(汗)(もっとず~っと後からでも、性懲りもなく独身時代の愛妻の気を引こうとして難しい本を読んだり・・・)。まあ、切実さとは無縁のところで、哲学書とか読んでいました(読んでいるフリをしていました)。
しかし、今はもっと切実な動機や問題意識で、哲学から人生の謎を解くヒントを少しでも得ようとして哲学書(と言っても啓蒙書レベルだけど)を読んでいるような気がします。読書に求めるものは年齢とともに変わるという、ごくごく当たり前の話ではあります。
まあ、これは個人的な話で、若い学生さんでも切実な動機で哲学書を読む人は今も昔もいる筈ですし、そういう意味ではボクは脳天気な学生時代を過ごしていたと言えるのだろうなあ。
もちろん、そんなことをしてもいっこうにモテなかったのですが・・・(汗)(もっとず~っと後からでも、性懲りもなく独身時代の愛妻の気を引こうとして難しい本を読んだり・・・)。まあ、切実さとは無縁のところで、哲学書とか読んでいました(読んでいるフリをしていました)。
しかし、今はもっと切実な動機や問題意識で、哲学から人生の謎を解くヒントを少しでも得ようとして哲学書(と言っても啓蒙書レベルだけど)を読んでいるような気がします。読書に求めるものは年齢とともに変わるという、ごくごく当たり前の話ではあります。
まあ、これは個人的な話で、若い学生さんでも切実な動機で哲学書を読む人は今も昔もいる筈ですし、そういう意味ではボクは脳天気な学生時代を過ごしていたと言えるのだろうなあ。
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